『ダークナイト』がヒーロー映画の“リアル”の基準を変えた!
『ダークナイト』でノーランが試みたことは、本来アメコミ原作のヒーロー映画である「バットマン」からコミック的で非現実的な要素を極力排除することだった。バットマン自身がもともとスーパーパワーの持ち主でなく、心身の鍛錬とハイテクスーツによってスーパーヒーロー活動ができていることは『ジャスティス・リーグ』(2017)などでもネタにされているが、『ダークナイト』には現実の世界にいそうにない奇抜な敵も登場しない。
ヒース・レジャーが演じたジョーカーは劇中で一切正体が明かされないが、メイクをしたサイコパスの愉快犯であるということを除いて通常の人間と変わるところはない。冒頭のジョーカーの犯罪行為もマスクで正体を偽装した正攻法の銀行強盗だし、ほかに登場する敵はマフィアや悪徳会計士など普通の犯罪映画に出てくるような輩ばかり。むしろ『ダークナイト』においては蝙蝠のマスクをかぶっているバットマンこそが劇中で一番の“怪人”なのである。
『ダークナイト』©2014 Warner Bros. Entertainment Inc.
ノーランがアメコミ映画の徹底的な“リアル化”を図ったことで、その後のヒーロー映画は必ず、現実との折衷点を見つけ出すという課題を与えられたと言っていい。もはやヒーロー映画は無邪気なファンタジーであることは許されず、“ありえる”と“ありえない”の配分によってその作品の個性や志向が決定されるようになった。その点において、『ダークナイト』が及ぼした影響の功罪は、今後も賛否の論議に欠かせない存在であり続けるだろう。『ダークナイト』がヒーロー映画というジャンルに果たした役割は、戦場描写におけるスピルバーグの『プライベート・ライアン』(1998)にも似ている。
『プライベート・ライアン』とは違うアプローチを取った、戦場描写に対するノーランの回答『ダンケルク』