3つの企画が同時進行していた『ロビン・フッド』
ロビン・フッドは13世紀頃の伝承によって生まれた伝説の人物。12世紀後半のイギリスを舞台に、貴族による圧政に苦しみ、迫害された民衆のために立ち上がる義賊の活躍を描いた物語だ。ダグラス・フェアバンクス主演の『ロビン・フッド』(22)や、エロール・フリン主演の『ロビン・フッドの冒険』(38)など、戦前から何本もの作品が製作されてきた。また、フェアバンクスやフリンにとって、ロビン・フッド役は当たり役となった代表作のひとつでもある。2000年代以降も、リドリー・スコット監督とラッセル・クロウ主演の『グラディエーター』(00)コンビで製作された『ロビン・フッド』(10)や、タロン・エガートン主演でロビン・フッド誕生の物語が描かれた『フッド:ザ・ビギニング』(18)が製作されるなど、過去百年に渡ってロビンの勇姿がスクリーンから消えたことがないほど、時代を超えた人気を誇っている。
そんな「ロビン・フッド」の物語を映画化するという企画が、1990年頃に乱立したのである。名乗りを上げたのは、20世紀フォックス、モーガン・クリーク、トライスターの3社。20世紀フォックスは、自社で『プレデター』(87)や『ダイ・ハード』(88)をヒットさせたジョン・マクティアナンを監督に起用。同時期に20世紀フォックスが製した『愛がこわれるとき』(91)でジュリア・ロバーツの相手役を演じ、『愛と野望のナイル』(90)で注目されていたパトリック・バーギンをロビン役に抜擢した。当時のジュリアは、『プリティ・ウーマン』(90)のヒットによって人気絶頂期にあった時期。『愛がこわれるとき』と『ロビン・フッド』という話題作を2本連続で公開することにより、まだキャリアが浅く無名だったバーギンをスターにしようという映画会社側の思惑もあった。
『ロビン・フッド』(c)Photofest / Getty Images
一方のモーガン・クリークは、ワーナー・ブラザースによる世界配給が決まったものの主演俳優が決まらず、20世紀フォックスにスケジュールの遅れをとっていることを懸念していた。そのため、ケヴィン・コスナーを主演に迎えたことで頓挫を免れたことに対して、プロデューサーのジェイムズ・G・ロビンソンは「コスナーのような超大物が来てくれた」との喜びを述懐している。驚くべきことに、ケビンは3社の企画それぞれの主演オファーを受けていたのだという。後年になって、その事実を明らかにしたケビンは「僕、ロビン・フッドみたいに見えるのかな?」と語っているが、彼にとってロビン・フッドを演じることは子どもの頃からの憧れだった。
ケヴィン・コスナーがロビン役に決まった頃、20世紀フォックス版は撮影に入ろうとしていた。ところが、ジョン・マクティアナンが監督を降板(マクティアナンは製作総指揮として参加している)。代わって、『ゴリラ』(86)や『ハンバーガー・ヒル』(87)のジョン・アーヴィン監督が後任となるトラブルに見舞われた。クランクインが延期となったが、製作費を1,500万ドルとし、ヒロインのマリオン役には『危険な関係』や『ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女』(90)で注目されていたユマ・サーマンを抜擢。モーガン・クリーク版に対して先手を打ってゆく。
ここで忘れてはならないのはトライスター版である。トライスターはロビン役にメル・ギブソンを想定していたが、彼は『ハムレット』(90)に主演したばかりだったため「似たような時代物へ出演が続く」という理由から出演を断られている。さらに、20世紀フォックスとモーガン・クリークが、撮影開始時期を競っていることを知ったトライスターは企画を断念。競作の顛末を考えると、トライスターの判断は賢明だったのかも知れないと思わせる。この時点で、モーガン・リーク版の監督はまだ決まっていなかったのだが、ケヴィン・コスナーの推薦でケヴィン・レイノルズが監督することになるという経緯がある。
『ファンダンゴ』予告
“ふたりのケヴィン”は、まだ無名だったケヴィン・コスナーが主演した『ファンダンゴ』(85)で主演俳優と監督だったという関係。コスナーがアカデミー監督賞に輝いた『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)には、“Special Thanks”のクレジットでケヴィン・レイノルズの名前が記されている。初監督となるコスナーに対して、レイノルズは演出面で協力したという友情で結ばれていたのだ。ケヴィン・レイノルズへの監督オファーに関して、コスナーは「恩返し」だと語っているほど。まだ低予算作品の経験しかないレイノルズは、『ロビン・フッド』でいきなり4,800万ドルもの製作費を任されることとなる。これは20世紀フォックス版の約3倍にもなる膨大な製作費だった。