現場が抱えた数々のトラブル
モーガン・クリーク版の主演俳優と監督が決まり、マリオン役には『プリンセス・ブライド・ストーリー』(87)でも姫役を演じたロビン・ライトを起用。モーガン・フリーマンやクリスチャン・スレイター、アラン・リックマンといった共演者も決まり、20世紀フォックス版にやや遅れて撮影に入ろうとした矢先、現場で問題が発生する。当時ショーン・ペンと交際していたロビン・ライトの妊娠が発覚(ふたりは1996年に結婚)。彼女は急遽降板することになったのである。さらに撮影開始を急ぐあまり、衣装が間に合わないという事態に陥った。ケヴィン・コスナーに至っては、イギリス英語(アクセント)を習得する時間が失われ、彼のアメリカ英語(アクセント)を理由にした酷評が劇場公開時になされることへと繋がってしまう。
ロビン・ライトの代役には、当時『アビス』(89)や『訴訟』(90)に主演していたメアリー・エリザベス・マストラントニオが撮影の4日前になって決定。衣装デザインのジョン・ブルームフィールドは「撮影の前日までケヴィン・コスナーとモーガン・フリーマンの衣装を作っていた」と述懐するほど、クランクインは悲惨な状態にあったという。では、監督やスタッフのクリエイティビティや、俳優の役作り期間を犠牲にしてまで撮影を急いだ結果どうなったのか? 20世紀フォックス版のクランクアップは1991年の1月、“ふたりのケヴィン”のモーガン・クリーク版は1990年の12月にクランクアップ。つまり、“ふたりのケヴィン”は遅れを取り戻したのである。
『ロビン・フッド』(c)Photofest / Getty Images
今度は遅れを取った20世紀フォックスが作品の完成を急ぎ、モーガン・クリーク版に先駆けてイギリスで劇場公開した。しかし作品の評判が芳しくなく、アメリカ国内ではテレビ映画として放映される憂き目に遭い、劇場公開されることがなかったという顛末を迎えた(ちなみに日本では劇場公開されている)。一方、モーガン・クリーク版でケヴィン・コスナーの演技が劇場公開時に酷評されたことは前述の通り。「ロビン・フッドというよりはロビン・ウッドだ」と木偶の坊呼ばわりされるなど、アメリカでの評判は散々だったのだという。まだインターネットが発達していない時代。斯様な醜聞を当時の筆者は知る由もなかった。
作品はマスコミから叩かれていたものの、主題歌となったブライアン・アダムスの「(Everything I Do)I Do It For You」は、全米チャートで7週連続1位を記録。年間チャートでも1位となる大ヒット曲となって、日本でも人気を呼んでいた。そして実は、マスコミによる酷評とは裏腹に、『ロビン・フッド』は観客の支持を得ていたのである。そのことを裏付けるように、『ロビン・フッド』は北米だけで約1億6,500万ドルを稼ぎ出すほどの興行的成功を収めている。1991年6月14日の北米公開から遡ること約3ヶ月前。第63回アカデミー賞授賞式で『ダンス・ウィズ・ウルブズ』が作品賞に輝き、ケヴィン・コスナーは時の人となっていた。つまり、多くの映画ファンが彼の新作を待ち望んでいる状態にあったのだ。