“アメリカの闇歴史”南北戦争に斬り込んだマカロニ・ウェスタン
この映画には一つ大きな懸念材料があった。南北戦争は、アメリカ史最大のタブー。それを真正面から描くことは、興行的なリスクを抱えていたのだ。実際にレオーネは、たまたまレストランで出くわしたオーソン・ウェルズから、「南北戦争の映画など狂気の沙汰だ!」と、製作中止をアドバイスされたという。それでもセルジオ・レオーネは、アメリカの闇歴史に斬り込むことに躊躇しなかった。
「私はピカレスク映画の中で、人間の愚かさと戦争の現実を描きたかったんだ。(中略)本当のアメリカの歴史は、文学も映画もきちんと描いてこなかった暴力の上に築かれたものなんだよ」(セルジオ・レオーネへのインタビューより引用*)
イタリア人のレオーネは、ムッソリーニのファシズム政権を間近で見続けてきた。歴史がいともたやすく歪められることを、身をもって体感してきたのだ。モラルなき暴力を描くことは、彼にとって必然だったのである。
『続・夕陽のガンマン』(c)Photofest / Getty Images
3人の主人公たちは、サッドヒル墓地に隠された大金を得るために、権謀術数を巡らし、撃ち合い、裏切ったり裏切られたりを繰り返す。その背後には、埃と血にまみれた大地があり、彼ら以上の撃ち合いと殺戮が渦巻いている。そこには古き良きアメリカの姿はない。血で血を洗う野蛮な国家があるだけ。それこそが、レオーネが描きたかった“本当の西部”なのである。
『続・夕陽のガンマン』が描いたモラルなき暴力描写は、アメリカ映画にも大きな影響を与えた。当時のハリウッドは、1930年に制定されたヘイズ・コード(自主規制条項)によって、がんじがらめ状態。アメリカ映画の代名詞というべき西部劇でさえも、ヘイズ・コードの規制に囚われていた。しかし、イタリアから逆輸入されたマカロニ・ウェスタンが、いともたやすくそのルールを打ち破ってしまう。
ハリウッドは、『続・夕陽のガンマン』のような自由奔放な外国映画に対抗するべく、ヘイズ・コードの呪縛から解き放たれることを決意。30年以上の時を経て、ようやく自由な表現を獲得したのだった。