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『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』物語の完結と解放、MCU版スパイダーマンのさらなる跳躍

© & ™ 2021 MARVEL.

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』物語の完結と解放、MCU版スパイダーマンのさらなる跳躍

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青春物語として、スリラー映画として



 いまや超巨大フランチャイズとなったMCUにおいて、『スパイダーマン』シリーズは“青春映画”としての独自性をそなえていた。先述したように、これはピーター・パーカーの成長物語であり、学園コメディとしての要素も色濃かったのである。MJとのロマンスやネッドとの関係性、同級生たちとの風景も3部作を貫くもので、その中では周囲の人物像の変化も描かれてきた。


 もっともピーターがスパイダーマンであり、日常生活との間に葛藤する以上、MCU版の3部作もサム・ライミ版『スパイダーマン』や『アメイジング・スパイダーマン』2部作に通じる切ない青春物語だ。これは何度映画化されても変わらない“スパイダーマンらしさ”だと言えるが、MCU版の大きな特徴は――演じるトム・ホランド本人の魅力もあろう――そこに軽やかなユーモアを取り入れたところにある。



『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』© & ™ 2021 MARVEL.


 したがって、ピーターが絶体絶命の窮地に立たされる本作の冒頭でさえ、あえて前作までのテイストが継承されている。描き方によっては終始シリアスな展開になることもありえたところをむしろ明るく描くのだ。出来事の深刻さとは裏腹に、ピーターやMJ、ネッドたちはあっけらかんと、ほとんど空騒ぎめいた賑やかさの中で未曾有の事態に巻き込まれていく。まずはMCU版『スパイダーマン』シリーズのテイストを再確認するところから、少しずつ物語の核へと迫っていく構成だ。


 監督のジョン・ワッツは、自らが描いてきた物語を締めくくるため、過去2作をしのぐ作家性をこの作品に注ぎ込んでいる。そもそも“変身”というモチーフは、自身の監督作『クラウン』(14)で人食いピエロに変貌する父親を描いて以来のものだし、いたずらっ子の少年たちと悪徳警官の対決劇だった『COP CAR/コップ・カー』(15)の“少年と恐ろしい大人”という構図も『スパイダーマン』シリーズにはそのまま活用されている。1作目でマイケル・キートンが演じたバルチャー、2作目でジェイク・ギレンホールが演じたミステリオは、それぞれタイプは異なるもののピーターにとっては非常に恐ろしい大人たちだった。


『COP CAR/コップ・カー』予告


 『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、その意味ではワッツ監督にとっても一種の集大成といえる。今回の“恐ろしい大人”は、ドクター・オクトパス(アルフレッド・モリーナ)であり、グリーン・ゴブリン(ウィレム・デフォー)であり、エレクトロ(ジェイミー・フォックス)であり、リザードやサンドマンだ。もっと言えば、なんとか事態を収拾するため、半ば高圧的な態度をもってピーターに迫るドクター・ストレンジもそのひとり。ダークなトーンの場面では、ワッツ監督のホラー/スリラー経験が活きた容赦ない切れ味も垣間見られる。


 今回のピーターは、恐るべき大人たちと対等に渡り合い、課題を克服しなければならない。その試練を乗り越えることが、スパイダーマンとしての成熟に直結するのである。映画界きっての実力者が揃って演じる大人たちは揃いも揃って“怖い”が、特に『スパイダーマン』(02)を上回る恐ろしさのウィレム・デフォーは圧巻だ。スパイダーマン役として若きトップスターとなったトムと大物俳優陣の演技合戦は、そのまま劇中のピーターとヴィランたちの関係性にも重なって味わい深い。




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