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『ゴーストバスターズ アフターライフ』ライトマン父子の全く異なるアプローチが、時代を超えてひとつに結びつく時

『ゴーストバスターズ アフターライフ』ライトマン父子の全く異なるアプローチが、時代を超えてひとつに結びつく時

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二つの異なる演出法を交差させる



 いざ完成した『ゴーストバスターズ アフターライフ』を目にすると、最初に湧き上がるのはちょっとした”違和感”かもしれない。舞台となるのは荒廃した田舎町。そこに都会生活からはじき飛ばされたかのように、一人のシングルマザーとそのこどもたちがやってくる。笑いが全くないわけではないが、少なくともシリーズならではの矢継ぎ早のテンポ感と飄々とした笑いとはかなり隔たりのある作りだ。


 思えば84年版は、主役たちが「サタデー・ナイト・ライブ」や「ナショナル・ランプーン・ショー」などで人気を博するコメディ・スターだったこともあり、アイヴァン・ライトマン監督の指揮のもと、あらゆるシーンに脚本の指示をはるかに超えた有機的な笑いの空気が詰め込まれていた。それになんといっても物語の舞台はレーガノミクスに沸く頃のニューヨーク。街そのものも一つの怪物のような存在感を発揮していたように思う。



『ゴーストバスターズ アフターライフ』


 これを伝統的に踏襲したのが、ポール・フェイグが監督を務め、四人のコメディエンヌたちが主演した『ゴーストバスターズ』(16)だ。筆者はこれはこれで大好きなのだが、世間の評価的には真っ二つに分かれているらしい。


 同作に比べると今回の『アフターライフ』が採択したのは全くの正反対の手法だ。それはまさにジェイソン・ライトマン監督がハリウッドの大作映画からは離れた位置で撮り続けてきた、人間味がグッと沁み出す作品そのもの。笑いを推進力にするのではなく、どれも登場人物の心の動きを丁寧にすくいとった作品ばかりだ。


 だが、そんなジェイソン作品ならではの地点からスタートした『アフターライフ』も、物語の展開と共に少しずつSF色や懐かしのアイテムや記憶を増しながら、80年代のノスタルジーに包まれた父アイヴァン的なテイストを流入させていく。


 その先に待ち受ける展開が一体何であるかは容易に想像がつくし、案の定、ジェイソン的なものとアイヴァン的なものは、膨張して、触れ合って、スパークして、いつしかクライマックスでは針が振り切れたかのように、最大級の「交差」を巻き起こしてくれる。その瞬間、スクリーンを見つめながら自ずと浮かんでくるのは満面の笑み。この展開をファンはどれだけ待ち望んできたことだろう。


 30年以上にわたって彷徨い続けてきた企画の、誰もが納得しうる到達点がここにしっかりと刻まれているのである。





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