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『ベルファスト』自伝をフィクションとして再構築した、ケネス・ブラナーのパーソナルな作品

Ⓒ2021 Focus Features, LLC.

『ベルファスト』自伝をフィクションとして再構築した、ケネス・ブラナーのパーソナルな作品

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ブラナーのアイルランドへの思い



 それまでベルファストだけで暮らしてきた主人公の一家は、やがては街を出て、より安全な場所(ロンドン)で暮らすことも考え始める。一家の引っ越しに関して、ポップはアポロ11号のアームストロング船長の名言、「それは小さな第一歩だが、人類には大きな一歩だ(That’s one small step for a man,one giant leap for mankind)をもじった激励の言葉を孫に送る――「月に行く準備をした方がいい(Get yourself to the moon)。ロンドン行きは小さな第一歩でしかない(London’s only small step for a man)」。それまでアイルランドにしか住んだことのなかった少年にとって、使っている言葉(訛り)も異なるイングランドへの移住には、月旅行並みの大きなインパクトがある、ということだろう。


 前述の自伝によれば、アイルランドからロンドンへの移住後、ブラナーは言葉で苦労し、引っ越して1年後に「私は学校ではイギリス人になり、家ではどうやらアイルランド人でいられるようになった。それは恐ろしく居心地の悪い妥協で、私はひどく罪の意識を感じた。本能的には私はベルファストの少年のままでいたいと思ったが、学校での圧力は強かった」と当時のことを回想している。



『ベルファスト』Ⓒ2021 Focus Features, LLC.


 言葉に関して少年時代には複雑な葛藤を抱えていたはずだ。『ベルファスト』では彼がアイリッシュとして無邪気に生きられた最後の時代に焦点が当てられている。劇中にはアイルランド人の気質を象徴するような名言も登場する。親戚のバイオレットがマに対してこんなセリフをいう――「アイルランド人は故郷を去っていく。そして、世界中にパブをたくさん作ったのよ。(中略)アイルランド人が生きるために必要なものは、電話とギネスビールと「ダニー・ボーイ」の楽譜だわ」さまざまな理由で故郷を去らなければいけないアイリッシュの置かれた立場が、こうしたセリフに集約されている。


 アイルランドに対するブラナーの思いは、実は本人からも直接聞いたことがある。1990年4月に『ヘンリー五世』を撮ったばかりのブラナーに取材した。自身の劇団、ルネッサンス・シアターの日本公演(「リア王」「夏の夜の夢」)のための来日だった。ハリウッドでは初監督・主演作『愛と死の間で』(91)のために準備をしていて、「今回の映画ではLAの探偵の役をやるので、現地の人々のアクセントを注意深く聞くようにしている」と言っていた。アクセントが異なる英語へのカンは、少年時代の引っ越しによって磨かれ、その後は映画の世界で、その経験が生きていたようだ。


 故郷のベルファストに関しては「イングランドとアイルランドはまったく個性が違う。イングランドはちょっとスノッブなところがあるが、アイルランドのカルチャーはストリートや日常生活の中にある。文学や詩、音楽やアートなどが人々の人生の一部になっている。ベケット、ワイルド、ジョイスなどアイルランド出身の作家も多い。そんなアイルランドがすごく好きだ」と言っていた。


 劇中では詩人のイェイツが20世紀初頭に書いた「イースター1916」の詩をポップが引用する場面もある。ブラナーの中にあった少年時代からのベルファストへの思いがユーモアや詩心あふれるセリフによって綴られた作品となっている。ちなみにブラナーの20年の監督作『アルテミスと妖精の身代金』(配信作品)はアイルランドの作家、オーエン・コルファーのファンタジー小説の映画化。現代のアイルランドが舞台で12歳の少年が主人公だった。彼のアイルランドへの道はすでにここから始まっていた。




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