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『1984』すでに空想の産物ではなくなってしまった全体主義への予見と警鐘

(c)Photofest / Getty Images

『1984』すでに空想の産物ではなくなってしまった全体主義への予見と警鐘

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日本が生み出した“銀残し”という技法



 マイケル・ラドフォードがオーウェルの古典から映画を生み出そうとする試みには、ある種の必然性があるように感じられた。というのも、多くのシーンは、ウィンストン・スミスの日記に書かれている日付の通りに撮影されているからである。


 例えば原作の中で、スミスが自分のアパートへ帰宅し日記に1984年4月4日と書くシーンは、実際に1984年4月4日に撮影されたものである。映画の撮影は1984年4月から、同年6月にかけて敢行され、まさにオーウェルが想像した時代と設定のさなかで撮影された。今作のクレジットに注目すると、「この映画は1984年4月から6月の間にロンドンとその周辺で撮影された」と記されているのが見て取れる。



『1984』(c)Photofest / Getty Images


 監督のマイケル・ラドフォードと撮影監督のロジャー・ディーキンスは、当初この映画をモノクロで撮影しようと模索していたが、製作の資金源であるヴァージン・フィルムズがこの案に反対。監督らはその代替策として、銀残し(ブリーチバイパス)と呼ばれるフィルム処理技術を用いている。この処理を施すことで低彩度の洗いざらし感を演出し、カラー映画ではあるのだが印象としてはモノクロ映画のような色調と渋さを表現することに成功している。


 映画における銀残しは、日本の映画監督、市川崑の代表作『おとうと』(60)で初めて使用された。大映映画のカメラマンであった宮川一夫が、市川の映画のためにこの技法を生み出したと言われており、今日では『セブン』(95)や『プライベート・ライアン』(98)、『マトリックス』(99)など、有名なアメリカ映画でも使用される機会が多い。核戦争によって荒廃した『1984』の未来世界は、銀残しの作用もあって恐ろしく冷ややかであり、オーウェルの架空のビジョンを見事に再現するためのアプローチとして機能した。




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