2022.04.05
『ニューヨーク・ニューヨーク』から生まれた2本の傑作映画
『ニューヨーク・ニューヨーク』にはいくつかの後日譚がある。実在のボクサー、ジェイク・ラモッタの伝記映画『レイジング・ブル』はデ・ニーロが切望していた企画だったが、スコセッシは「ボクシングには興味がない」と何度も断っていた。デ・ニーロは『ニューヨーク・ニューヨーク』の現場でも、『レイジング・ブル』の原作本を持ち歩き、いろんな人にプレゼンしていたという。
心身ともにすり潰したスコセッシがほとんど死にかけて入院した時、デ・ニーロが見舞いにやってきた。デ・ニーロは「君と俺で素晴らしい映画にすることができる」と『レイジング・ブル』の企画を持ち出し、そこで初めてスコセッシはイエスと答えた。『ニューヨーク・ニューヨーク』以降のどん底の日々によって、スコセッシは自分自身と『レイジング・ブル』の主人公ジェイク・ラモッタとのリンクを見つけたのだ。
『レイジング・ブル』予告
『レイジング・ブル』には『ニューヨーク・ニューヨーク』の反省点も活かされた。スコセッシは即興演技を奨励しながらも、事前に準備して効率よく進める術を身につけていた。スコセッシ自身、「『ニューヨーク・ニューヨーク』の経験がなければ『レイジング・ブル』を撮ることはできなかった」と認めている。
また、『ニューヨーク・ニューヨーク』のエンディングについては撮影中も迷いがあり、5通りものバージョンが撮影されていた。ジョージ・ルーカスは「最後は2人が一緒になって歩いていくハッピーエンドにすれば興収が100万ドル増える」と助言し、その通りのバージョンも撮影されたが、スコセッシは「この物語にはそぐわない」とボツにしてしまった(DVD特典のアナザーエンディングとして観ることができる)。
『ニューヨーク・ニューヨーク』(c)Photofest / Getty Images
映画の公開から10年近く経った頃、スコセッシはフランスの映画監督ベルトラン・タヴェルニエとランチをする機会があり、ウィンクラーを誘った。タヴェルニエは2人に「あのラストには満足しているのか?」と訊ねた。スコセッシとウィンクラーが「満足はしていない」と言うと、タヴェルニエは「じゃあ主人公のジミーは本当はどうしたと思う?」と重ねて訊いた。ウィンクラーは「パリのジャズクラブでサックスを吹いているだろう」と答えた。
その時のやり取りが印象に残ったウィンクラーは、数日後にタヴェルニエに連絡して「パリに渡ったアメリカ人ジャズマンの映画を撮ってみないか」と提案した。タヴェルニエが快諾してできたのが『ラウンド・ミッドナイト』(86)である。ビバップ世代のサックス奏者デクスター・ゴードンが破滅的な老ジャズマンを演じ、アカデミー主演男優賞にノミネートされたジャズ映画の名作だ。
『ラウンド・ミッドナイト』予告
タヴェルニエは主人公がニューヨークに帰郷するシーンに、スコセッシの出演を熱望した。スコセッシの早口、エネルギー、そして存在そのものがニューヨークの化身のように感じていたからだった。スコセッシは「俳優のことを知りたくて引き受けたが、自分の演技はひどいものだった」と謙遜するが、物語の舞台と空気感が切り替わったことを知らしめる、さすがの存在感を発揮している。
『ニューヨーク・ニューヨーク』はスコセッシのフィルモグラフィにおいても非常に重要な作品であり、思わぬ副産物として『レイジング・ブル』と『ラウンド・ミッドナイト』をも生み落とした。製作から45年を経た今だからこそ、フラットかつ新しい視点での再評価を望みたい。アンビバレントな作風への批判やいびつな人物描写への嫌悪もあるだろうが、不完全であるからこその深みと得がたい魅力が、確かにこの映画には宿っているのである。
参考資料:
『スコセッシ オン スコセッシ 私はキャメラの横で死ぬだろう』新装増補版 デイヴィッド・トンプソン、イアン・クリスティ編、宮本高晴訳、フィルムアート社刊
『スコセッシはこうして映画を作ってきた』メアリー・パット ケリー著、斎藤 敦子訳、文藝春秋刊
『ニューヨーク・ニューヨーク』DVD2枚組特別編 マーティン・スコセッシ音声解説 特典映像「The Story of NEW YORK, NEW YORK」
文:村山章
1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。
(c)Photofest / Getty Images
※【お詫びと訂正】
本記事内の表記に下記の誤りがございました。
(誤):ジャズトランペッター
(正):サックス奏者
皆様にお詫びするとともに、ここに訂正いたします。