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『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』伝説の音楽アニメに込められたもの 後編

(C)(株)さくらプロダクション/日本アニメーション1992 (C)1992劇場用映画「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」製作委員会

『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』伝説の音楽アニメに込められたもの 後編

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裏テーマとして浮かび上がる戦争の影響



 「ちびまる子ちゃん」という作品について考える時に、まず留意しないといけない重要なことがある。原作マンガの連載が始まったのが1986年。TVアニメ化されたのは1990年(平成2年)。しかし物語の舞台は同じ時代ではない。まる子は1965年生まれのさくらももこの分身であり、さくらももこの小学生時代は1970年代。作品中で言及される芸能人も70年代が全盛期の西城秀樹や山本リンダ、山口百恵であり、「ちびまる子ちゃん」の時代設定は1970年代前半が舞台と考えるのが順当だろう。


 『わたしの好きな歌』の公開は1992年だが、物語の舞台はさらに20年ほど遡った静岡県清水市ということになる。70年代初頭といえば高度成長期の終盤で、平成バブルを通過した1992年に比べればはるかに旧時代的な「昭和」だった。『わたしの好きな歌』は、30年前の平成の時代に作られた映画であると同時に、50年前の昭和の物語として見つめる必要がある。


 筆者が興味を抱いたのは、『わたしの好きな歌』を作った時、さくらももこはどこまで「社会における女性の立場」について考えていたのだろう、ということだった。嫁入りと軍馬の出征を重ね合わせるのは非常に皮肉なアプローチであり、「女性の幸福とは何なのか?」という根源的な問いかけを感じざるを得ない。しかも小学生のまる子は、戦争のイメージを抱きながら、まるで他に選択肢を知らなかった軍国少女のようにお姉さんをバンザイ三唱で送り出してしまうのだ。女性の歴史をふまえると、これはどうしても歪んだグロテスクな構図に見えてしまう。


 戦争の影については、原作として描かれた漫画版より、劇場アニメ版のほうがよりはっきりと前面に打ち出されている。まる子の祖父である友蔵が「33年前の隣組の小坂さんのお別れ会」を回想する場面があるが、普通の服を着ている漫画版と違って、アニメ版では戦時中の国民服を着ており、背景には軍国主義のスローガンである「欲しがりません勝つまでは」の張り紙があるのがわかる。


 またアニメ版には、まる子に「めんこい仔馬」を教えてくれた大石先生が、出征していく大切な人との別れを思い出す、という描写もある(原作では大切な人との別れを匂わせているが、直接戦争が原因とは描写していない)。ちなみに「めんこい仔馬」は、日米開戦の1941年に公開された山本嘉次郎監督作『』のために作られた。山本監督は馬と少女の別れの物語を思い立ち、軍国主義下の時代に合わせて「軍馬の育成を描く国策映画」という体を取ることで企画を押し通したという。そして「めんこい仔馬」は映画とは離れ、兵士を戦地に送り出す勇ましい歌としてヒットした。


 しかし終戦の20年後に生まれたさくらももこが、どこまで『わたしの好きな歌』に反戦のメッセージを込めていたのかは、手元にある資料だけではよくわからない。ただ、さくらももこは「めんこい仔馬」について、ずっとふざけた替え歌の歌詞でしか知らなかったが、大人になって軍馬との別れの歌だと知り、「涙をこらえて笑顔で万歳するまる子」の姿が浮かんだことがこの物語の大きな着想になったと語っている。漫画版『わたしの好きな歌』のあとがきでも、「大切な存在と永遠に分かれる際まで、泣かずに万歳する時代は悲しすぎます」と書いているので、この歌に深い悲哀を見出していたことは間違いなさそうだ。





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