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『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』伝説の音楽アニメに込められたもの 後編

(C)(株)さくらプロダクション/日本アニメーション1992 (C)1992劇場用映画「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」製作委員会

『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』伝説の音楽アニメに込められたもの 後編

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映画のために追加されたスズランの花



 もちろんさくらももこ自身は、一念発起してマンガ家としてデビューし、昭和の一般的な女性像とは大いに異なる人生を送ることになる。そして人生の分かれ道について、漫画版『わたしの好きな歌』のあとがきにこんなことを書いている。


 「もし私があのお姉さんのように、静岡で恋人ができていたら、やはりあのお姉さんのように恋人のもとへお嫁に行ったかもしれません。(中略)たまたま今の私は東京に出て東京で暮らしておりますが、それも人生の中のひとつの選択パターンにすぎず、ちょっとした選択の違いで他の形の人生も充分あり得るという、シミュレーションをこの物語の中でお姉さんにあてはめてみた感じがします。」


 さくらももこは果たして、お姉さんが選んだ道をお姉さんにとっての幸せだと考えていただろうか? それとも戦地に連れていかれて二度と帰ってくることのない軍馬のような悲劇だと思っていたのだろうか?


 少なくとも映画単体で観る限りでは、女性の嫁入りを必ずしも肯定的には描いていないように読める。また、芝山努と共同監督を務めた須田裕美子が、この問題についてさくらももこよりも敏感だったのかもしれないと思わせるエピソードがある。


 一度は恋人のプロポーズを断ったお姉さんが、まる子の後押しによって嫁入りを決意することは先にも述べた。ただ初期の脚本を反映した漫画版ではまる子の言葉が直接のきっかけになるのに対し、劇場アニメ版では、まる子の説得を受けてもなお、お姉さんは恋人と別れるつもりでいる。しかしアパートの部屋に恋人から贈られたスズランの花が残されているのを見て、彼との結婚と北海道行き決意するのだ。


 この変更を申し出たのが須田監督であったことは、漫画版に収録されているメイキングエッセイで明かされている。さくらももこは、スズランは季節外れだと指摘しているが、完成した映画ではそのままスズランが登場している。


 ここからはあくまでも筆者の想像だが、須田監督は、お姉さんの人生の選択を、まる子の言葉だけに委ねることをよしとしなかったのではないだろうか。お姉さんがあくまでも自分の意志として、葛藤しながらも決めたのだと描きたかったのではないか。そしてこのワンクッションの有無によって、漫画版と劇場アニメ版ではずいぶんと印象が分かれるのだ。


 さくらももこの大ヒットエッセイ集『さるのこしかけ』にも、結婚に触れた記述がいくつかある。親が決めてきた見合いを泣いて嫌がる姉に対して、母親は「結婚なんてしてから良さがわかってくるもんなんだよ」と叱り、まだ彼氏もいなかったというさくらももこまで、つられて「うん」と肯定してしまう。いかにも「夢」や「愛」がぜいたく品だった時代らしい考え方である。


 また、結婚したさくらももこが実家に里帰りをすると、母親から「お嫁に行ったのだからもう一人で帰ってくるんじゃない」と言われて、東京の家に戻って声を殺して泣く場面がある。いずれも昭和の価値観といえばそれまでだが、当時の女性たちの多くは、いや、性別にかかわらず当時の社会全体が、女性の結婚をある種の義務や責任として捉えていた。


 しかし『わたしの好きな歌』から相対化された社会批評が読み取りづらいのは、さくらももこという昭和育ちの作家の肌感覚であり、情緒を重んじる作風ゆえの限界であったのかも知れない。





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