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『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』ヒーローの本質とは、今描くべき物語

©Marvel Studios 2022

『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』ヒーローの本質とは、今描くべき物語

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スーパーヒーロー映画として



 『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』はまぎれもなくスーパーヒーロー映画だ。しかし先述したように、いわゆる「爽快」で「ポジティブ」なスーパーヒーロー映画ではない。そのことは、タイトルロールであるブラックパンサーの“帰還”によって、いよいよ確かなものとなる。予告編にも登場しているように、不在となったブラックパンサーは再びワカンダに現れる。しかし、本作ではそれすらも問題を単純な解決に導くわけではない。


 おそらくクーグラーは、この映画を純粋な娯楽として盛り上げることを意識的に回避している。上映時間はMCUの単独映画史上最長となる2時間41分だが、巨大な主題に挑みつつ、登場人物それぞれの物語を丁寧に掘り下げることにも心を砕いた以上、この長さは必然的だったのだろう。クーグラーが人間ドラマを第一に考えていたことは、編集段階の課題がアクションシーンを縮めることだったというエピソードからもうかがえる。あくまでも各人の追悼と葛藤、決断を描くことに時間を費やし、全編のリズムを決定しているのだ。


 この大胆な選択は、本作が“スーパーヒーロー不在”だったからこそ実現したものだろう。脚本のテーマ設定、人物に深くフォーカスする演出、明確なコンセプトに沿って作り込まれた美術や衣裳、そして撮影と編集など、映画製作のあらゆる局面において、クーグラーは既存のスーパーヒーローやフォーマットに縛られることなく、とことん自分流の映画を作り上げた。だからこそ本作は、チャドウィックの死=不在を、現実世界の追悼を、一本の映画として昇華することができたのだ。「パーソナルなところ」から始まった映画製作が、パーソナルなままに大作映画として完成を見た好例である。



『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』©Marvel Studios 2022


 もっとも本作は、決してわがままに作られた映画ではない。ハリウッドの大作アクション映画には他に類を見ないリズム感ではあるが、よくよく注視してみると、「現代の映画」または「現在のMCU作品」として、ストーリーテリングが細やかに調整されていることもわかってくる。本作に最も近いのは、おそらく『アベンジャーズ/エンドゲーム』(19)だろう。アンソニー&ジョー・ルッソ監督は、約30分ごとに展開を切り替えることで約3時間もの長尺をリズミカルに成立させていた。


 本作も『エンドゲーム』ほど厳格ではないものの、2時間41分で描けるかどうかギリギリのエピソードを詰め込みつつ、展開とジャンルを一定時間ごとに切り替える手法を採っている。ポリティカル・スリラー、スパイ・アクション、ホラー、家族劇/宮廷劇、そして戦争映画というクロスジャンルぶりは唯一無二のもので、強いて言えば映画よりもテレビドラマに近い物語の語り方だ。MCUドラマは1話あたり40~50分が主流のため、本作は約4話ぶんにあたる。内容の充実ぶりと比較すれば適切、むしろ短いほどの尺ではないか。


 さらにクーグラーは、こうした取り組みのかたわら、MCUという巨大な装置の要請にもきちんと応えてみせた。2023年秋配信のドラマ「アイアンハート」(クーグラーも製作総指揮として参加)に先駆けて初登場したアイアンハート/リリ・ウィリアムズは、演じるドミニク・ソーンの魅力も含め、観客の印象に鮮烈な印象を残すだろう。また本作は、ブラックパンサーの単独映画としても、大きな試練を引き受けながら、しかるべき形で物語を再起動(リブート)することに成功している。自らの描きたい物語には忠実に、しかし商業的な使命も同時にやり遂げる職人技は健在だ。




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