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『逆転のトライアングル』意地悪さ×共感性の名手が、エンタメを追求した野心作

Fredrik Wenzel © Plattform Produktion

『逆転のトライアングル』意地悪さ×共感性の名手が、エンタメを追求した野心作

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過去3作に共通する「舞台設定」×「事件」=「反応」



 リューベン・オストルンド監督の作家性は、よく「意地悪」「シニカル(冷笑的)」「気まずい」と評される。人間の浅ましさや滑稽さをブラックに描く作品が多いためだ。彼は自身の監督作で脚本・編集も兼任しており、作品が観客に与える感覚がそのままオストルンド監督のカラーといえる。つまり、毒素の強い物語を好む書き手ということだ。


 ここで思い至るのが、“意地悪映画”の先輩といえるミヒャエル・ハネケ監督の存在。奇しくも彼は『白いリボン』(09)、『愛、アムール』(12)で2作連続カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した2人目の人物(1人目はビレ・アウグスト)であり、オストルンド監督も数々のインタビューでハネケ監督から受けた影響を語っている。ただオストルンド監督の場合、より軽妙で風刺喜劇的であり、「笑い」の要素が強い。これはエンタメ性にもつながっており、『逆転のトライアングル』ではその割合がかつてなく強められている(この部分については後述)。


 意地悪な笑いに満ちた世界観を形成するうえで重要なのは、舞台設定。『フレンチアルプスで起きたこと』ではスキー場、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』では美術館、『逆転のトライアングル』では豪華客船と、毎回メインの舞台を一つに設定し、そこで事件を起こし、そこに対して慌てふためく人々の“反応”から人間の本性を浮き彫りにする――。というのが基本の流れ。かつ、メインのキャラクターを自尊心が強い性格に設定し、各々の虚栄心が剥がれ落ちていくさまを見つめていく。



『逆転のトライアングル』Fredrik Wenzel © Plattform Produktion


 『フレンチアルプスで起きたこと』ではワーカホリック的な父親、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』では美術館のキュレーター、『逆転のトライアングル』ではトップモデルでインフルエンサー。いわゆる「人の上に立つ」タイプの人間が、「雪崩」「炎上」「事故」といった事件に遭遇し、転落していくのがメインの物語だ。


 『フレンチアルプスで起きたこと』では4泊5日のスキー旅行に来た家族が雪崩に遭遇し、父親が自分だけ真っ先に逃げたことから妻との関係が悪化する。『ザ・スクエア 思いやりの聖域』では企画展のために仕掛けた炎上プロモーションが社会問題化していく。そして『逆転のトライアングル』ではビジネスカップルの上下関係が遭難生活の中で崩壊する。その様子をじっくり――いやじっとりと観察していくのが、オストルンド監督のスタイルといえるだろう。『逆転のトライアングル』では1ショットにおける平均テイク数が23にも及んだそうで、そのこだわりは相当なレベルだ。





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