初監督作を誠実に作り上げたベン・スティラー
もうひとつの注目は撮影監督で、年齢としては初期のX世代であるメキシコ出身のエマニュエル・ルベツキが担当。ルベツキといえばその後、『ゼロ・グラビティ』(13)、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14)、『レヴェナント:蘇えりし者』(15)でアカデミー賞撮影賞に輝いた(3年連続受賞は彼のみ)。『リアリティ・バイツ』の時はアメリカに進出したばかりでキャリアも浅く、本作に撮影監督の個性が表れているわけではない。しかしオスカー受賞作からもわかるように、後に超人的カメラワークをこなす名カメラマンの初期の仕事として観れば、思わぬ発見があるかもしれない。
このように最高のキャストやスタッフ、ぴったりのサウンドトラックなど、ベン・スティラーは初監督作ながらソツなくピースをはめこんだ印象。本作の後、スティラーは監督として『ズーランダー』(01)、『トロピック・サンダー/史上最低の作戦』(08)など基本的にコメディを撮るようになっていく。『リアリティ・バイツ』にも笑える要素やシーンがいくつもあるが、青春ムービーとして、そして初監督作としての誠実さが貫かれている。
『リアリティ・バイツ』(c)Photofest / Getty Images
タイトルの『リアリティ・バイツ』の意味は「現実の咬み傷=現実はイタい」と受け取られることも多い。しかし脚本のチャイルドレスは、1992年のアメリカ大統領選挙のニュースで耳にした「サウンドバイツ(ニュース用に抜粋された政治家などの言葉や映像)」という単語をヒントにしたそうだ。そこからリライナが「現実のちょっとした断片(bite)」という意識でドキュメンタリー撮ったことにつながり、劇中でその作品が「リアリティ・バイツ」と紹介される。そして映画全体のタイトルにもなった。
「現実はイタい」という響きながら、観終わってみればホロ苦さよりも甘さ、優しさが際立つことになった『リアリティ・バイツ』。冒頭のリレイナが「どう生きるかわからない」とスピーチで語ったように、結末のその先を想像してみると、答えのない人生を自由に生きていく主人公たちの姿が思い浮かび、それこそがX世代だと予言しているようでもある。
文:斉藤博昭
1997年にフリーとなり、映画誌、劇場パンフレット、映画サイトなどさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。
(c)Photofest / Getty Images