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『ラヴ・ストリームス』無防備な“愛の生活”

(c) MCMLXXXIV Cannon Films, Inc.

『ラヴ・ストリームス』無防備な“愛の生活”

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無防備な二人



 「ジーナはいつも眩いばかりの演技を見せてくれるが、これほど電撃が走った彼女を見たのは初めてだった。彼女のシーンは驚くほど正直で無防備だった」(ジョン・カサヴェテス)*2


 ジーナ・ローランズが演じるサラは『こわれゆく女』(74)のメイベル、『オープニング・ナイト』(77)のマートルの系譜を継いでいる。カサヴェテス映画におけるジーナ・ローランズの予測不可能な演技は、『ラヴ・ストリームス』で最高到達点を迎えている。共感を呼ぶ演技というよりも、オーディエンスの胸にめがけ痛烈な一撃を与えるような演技、言葉の先を行く演技だ。



『ラヴ・ストリームス』(c) MCMLXXXIV Cannon Films, Inc.


 サラが夫のジャック(シーモア・カッセル)と娘のデビーを笑わせようとするプールサイドのシーンが凄まじい。ジーナ・ローランズによると、このシーンは完全に即興演技であり、即興でなければ絶対に言えない台詞だったという。ジョン・カサヴェテスは、ジーナ・ローランズに「笑わせるためなら何でもしてほしい」、シーモア・カッセルには「絶対に笑わないでくれ」と注文している。手あたり次第おもちゃを駆使して二人を笑わせようするサラが、不意にアメリカ国家のメロディを口ずさむのはとても興味深い。『こわれゆく女』のメイベルが、夫の同僚たちにスパゲッティを振る舞う姿を想起させるこのシーンは、ジャックとロバートの違いをも表わしている。ジャックはサラから受け取る愛情を“止める”態度をとるのだ。ここには断絶がある。サラとジャックの夫婦は、お互いのことを「病気」と呼んでいる。


 本作は全くもって一筋縄ではいかない映画だ。サラだけでなくロバートも自分が何をしているのか分かっていないように見える。そしてカサヴェテス映画の圧倒的な独自性は、キャラクターがどうしていいか分からないような瞬間にこそ剥き出しにされる。まったく先の展開を読むことができないライブ感がある。その中心に自然発生的な役者の演技がある。どうしていいか分からない瞬間に、役柄を捨てたような俳優の無防備な「個」が浮かび上がる。ジョン・カサヴェテスは外側から観察するのではなく、一緒に中に入って俳優のエモーションの推移をスケッチする。サラとロバートの間で双方向に露出される無防備さの前では、ジョン・カサヴェテスのフィルモグラフィーにおける圧倒的な傑作さえ「名作」の範疇に収まっているように思えてくる。





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