2023.07.06
ソウルメイト
「これはスウィートな映画だ。もし私が死んだら、この作品はスウィートな最後の映画になる」(ジョン・カサヴェテス)*1
ロバートが階段から転げ落ちて血まみれになったように、サラも感情が沸点を迎えると頻繁に倒れる。倒れる姿は反復される。対照的な哲学を持った二人には“転倒”という共通点がある。映画が半分以上過ぎたとき、初めて二人が姉弟であることが明かされる。ジョン・カサヴェテスは、サラとロバートをソウルメイトのように描いている。
サラとロバートは姉弟であることを他人には決して話そうとしない。そして大荷物のサラがロバートの家を訪ね、二人がタクシーの中で抱擁を交わす瞬間、とめどない感情が押し寄せる。ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズが実生活で夫婦であることがそうさせるのか、このシーンには筆舌に尽くしがたい特別な感動がある。そして再会を果たした二人がジュークボックスの前で音楽に合わせて踊るシーンの素晴らしさ。デレク・シアンフランス監督の『ブルーバレンタイン』(10)におけるチープなラブホテルのシーンは、この名シーンの“変奏”のように思える。デレク・シアンフランスは根っからのカサヴェテス信奉者だ。
『ラヴ・ストリームス』(c) MCMLXXXIV Cannon Films, Inc.
ロバートはサラを家に残し、元妻に預けられた小さな息子と共に何故かラスベガスに旅立ってしまう。ロバートはまたもや何かが成立しようとすると、どこかへ逃げてしまう。ラスベガスでのエピソードは、ロバートが子供をどう扱っていいのか分からないでいることを表わしている。ロバートは息子をホテルに残したまま、女性たちとひたすら遊ぶ。酒に酔った足取りでホテルの部屋に帰ったロバートは、母親の元に帰りたいと泣く息子の胸に顔を埋める。このとき息子は父親に失望するのと同時に、ロバートという男性の魅力的な幼児性=痛みを発見したのかもしれない。本作に登場する女性たちと同じように。
『ラヴ・ストリームス』は、奇妙で曲がりくねった怒涛の展開を経て『こわれゆく女』と同じようにオープンエンドを迎える。本作は生活の途中で始まり途中で終わる。ロバートは映画の冒頭で若い女性にインタビューをしている。料理を人生の楽しみにしていると語る若い女性の心を、彼はあまり理解していなかった。ロバートにとって創作とは詩を書いたり絵を描いたりすることであり、料理は彼の創作の辞書になかったのだ。
ロバートがサラとの再会によって何かを学んだかどうかは分からない。ただ本作が生活こそが創作であると定義しているのは明らかだ。そして生活とは愛のことに他ならない。ジョン・カサヴェテスが言うように『ラヴ・ストリームス』はスウィートな“遺言”なのだ。
*1 Raymond Carney, John Cassavetes「Cassavetes on Cassavetes」
*2 The New York Times [HOW LOVE AND LIFE MINGLE ON FILM] by John Cassavetes
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『ラヴ・ストリームス』
「ジョン・カサヴェテス レトロスペクティヴ リプリーズ」
6月24日(土)よりシアター・イメージフォーラム他全国順次公開
配給:ザジフィルムズ
(c) MCMLXXXIV Cannon Films, Inc.