ポール・シュレイダーという男
ポール・シュレイダーほどユニークなキャリアを辿ってきた脚本家もいないだろう。厳格なカルヴァン主義者の両親の元で生まれ育ったシュレイダーは、なんと17歳になるまで映画を見たことがなく、将来は牧師になるために神学系の学校へ通っていた。しかし大学時代に、その才能を映画評論家のポーリン・ケイルに見出され、彼女の推薦でUCLAの映画学科へ。卒業後に映画評論家としてデビューし、その後、兄のレナード・シュレイダーと共に『ザ・ヤクザ』(74)の脚本を執筆し脚本家へと転向。のちに『タクシードライバー』の脚本を担当し、一躍アメリカを代表する脚本家となった。
ポール・シュレイダーが手がける脚本の特徴は、どの作品にも「シュレイダー印」としか言いようのない彼の作家性が刻み込まれていること。スコセッシとは本作までに、『タクシードライバー』『レイジング・ブル』(80)『最後の誘惑』(88)でタッグを組んでいるが、その全ての作品で彼の作家性は遺憾なく炸裂している。
『救命士』(c)Photofest / Getty Images
彼の作家性とは何か。彼のほぼ全ての作品に共通するテーマが「オブセッションと解放」だ。主人公たちは、罪の意識や過去のトラウマ、あるいは妄執や偏った使命感に囚われており、それが時間を経て(多くは暴力の爆発によって)解き放たれるという物語を、シュレイダーは常に描き続けてきた。不思議なことだが、シュレイダーのオリジナルではない原作モノの映画化でも、そのような物語になっているのが興味深い。三島由紀夫の自伝を忠実に映像化したのにも関わらず、まさにポール・シュレイダーの映画としか思えない作品となった『Mishima: A Life in Four Chapters』(85)は一番良い例だろう。
スコセッシは原作を読んだ際に「この映画の脚本を書けるのはポール・シュレイダーだけだ」と言ったそうだ*1。原作は、退廃した街を舞台に、少女を救えなかった罪の意識を抱えつつ、ストレスでアル中になりながらも救命士の仕事を続けている主人公が、倫理的には許されない行為を経て解放される物語。まさにポール・シュレイダーが書いたとしか言いようのない内容であり、これにはスコセッシ自身も驚いたに違いない。