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『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』脚本変更でよりスコセッシ映画へ、ディカプリオとデ・二―ロ、グラッドストーンが体現する葛藤と贖罪

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『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』脚本変更でよりスコセッシ映画へ、ディカプリオとデ・二―ロ、グラッドストーンが体現する葛藤と贖罪

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歴史の読み直しにこだわるスコセッシ



 今回の映画にかかわった経緯をスコセッシは英国の映画雑誌“Sight and Sound”(23年10月発表)のインタビューで明かしている。それによると、先住民を扱った企画に携わるのは今回が初めてではなく、『ミーン・ストリート』(73)の後、19世紀の先住民の歴史を描いたディー・ブラウンのノンフィクション「わが魂を聖地に埋めよ」(日本では草思社文庫)の映像化の話が出たこともあったそうだ(その企画は流れ、結局、2007年に別の監督の手でテレビドラマ化されている)。


 そして、今回の新作で遂に先住民の話を撮ることになったが、スコセッシはオクラホマでの歴史的な背景に興味を持ったようだ。近年、アメリカの歴史の読み直しにこだわる監督にとって、今回の題材はアメリカの秘められた歴史を語れる、という点において意義ある企画に思えたのだろう。こちらを『アイリッシュマン』より先に撮る計画もあったが、『アイリッシュマン』は出演予定の俳優たちが高齢であるという理由を考慮し、まずは『アイリッシュマン』を先に撮った。


 そして、2017年から2020年にかけて脚本家のロスとじっくり脚本を検討し直した。捜査官ホワイトは、特に欠点のない人物として登場する。そして、ホワイトを演じるレオの演技を思い浮かべ、「これは自分には撮れないウエスタン」と監督は思ったという。また、ホワイトの視点ではオセージ族のある部分しか描けないとも感じた。そんな時、レオに「この映画の核心は?」と聞かれ、そこでスコセッシは考え、「アーネストとモリーの関係」と答えたという。



『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』画像提供 Apple


 実は今回の映画の製作のため、スコセッシは、このアーネストとモリーの孫にあたるマージ―・バークハートと会ったが、彼女の証言によれば、実在した夫婦は本当に愛し合っていたという。アーネストはモリーを窮地に陥れるが、モリーはそんな時も、アーネストの側にいる。本ではアーネストの記述が少ないが、それゆえ映画的な想像がふくらませやすい。


 その結果、原作に沿った犯人捜しの構成はやめることになり、夫婦の愛を軸にした脚本としてリライトすることになった。当初、映画の製作を引き受けていたパラマウントはこの変更に難色を示し、出資を断ってきた。そんな窮地を救ったのが、配信会社のアップルで、この会社が出資し、最終的にはパラマウントも配給を引き受けるという形で協力し、配信前に劇場での大きな興行も実現した(ホワイト役は『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(21)のジェシー・プレモンスが演じた)。


 アーネスト像は映画で大きくふくらんだキャラクターとなったが、そんな彼の中に監督は自身の監督作『沈黙―サイレンス』(16)で描いたキチジロー(窪塚洋介)も重ねて見ていたようだ。「彼と同じように、アーネストの人間的な弱さに興味を抱いた。アーネストは弱くて、危険なところもあるが、愛もある。本当に困った人物だが、それこそが人間なのかもしれない。そんな人間像をレオやモリー役のリリー・グラッドストーンと共に追及したいと思った」


 また、スコセッシの祖先はイタリア系で、ヨーロッパからアメリカへと移住して生活を始めた。そんな歴史に対して冷静な視点も抱いていて、「ヨーロッパから白人たちが来て、西洋の文明を持ち込むことでアメリカは開かれたが、そんな過去にも向き合うべきだ。侵略者でもある私たちはみんな殺人者(キラーズ)なのかもしれない」と監督は“Sight and Sound”のインタビューで答えている。


『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』予告


 オセージに住む白人たちは組織ぐるみで、犯罪に手を染めていくが、そんな設定は、スコセッシがお得意とする“ギャング映画”と共通している点も認めている。「まるでシカゴやニューヨークでの犯罪組織と同じやり口を彼らは使っている。組織化された犯罪においては、人物の邪悪な部分が浮かび上がる」と彼は語る(“Indie Wire”23年10月20日号)。


 前述のモリーの孫、マージ―・バークハートから「悪者と犠牲者のふたつにはっきり分けられるほど、現実は単純ではなかった」と言われ、それがスコセッシの頭の中にずうっとあったようだ。


 映画の主人公のアーネストは先住民の妻モリーを愛しながらも、彼女が持つ石油利権をめぐる残忍な事件に手を染めていく。一方、モリーはそんな夫に不信感を感じることはあっても、心のどこかで信じようとする。アーネストは強欲な叔父のヘイルに利用されているが、実はモリーも幼い頃からヘイルを知っていて、信頼を寄せていた時期もあった。


 主人公3人の愛と信頼、裏切りがからまった関係は、確かに白黒がはっきりつけられない。そんな人間関係は、スコセッシがかつて『グッドフェローズ』(90)や『カジノ』(95)、『アイリッシュマン』(19)などで描いたギャング同士の複雑な関係をも思わせる。また、後半の“内なるモラル”との葛藤や贖罪というテーマは、『ミーン・ストリート』以降、監督がこだわり続けてきたもので、近年では『沈黙―サイレンス』や『アイリッシュマン』の主人公が抱き続けた思いでもある。そこに人間の矛盾や不可解さが浮かび上がる。途中で脚本を変更することで、むしろ本来のスコセッシ映画に近い作品になったのではないだろうか。


 また、30年代のラジオ番組「ザ・ラッキー・ストライク・アワー」では事件の顛末がドラマ化されている。原作によれば、フーヴァーの指示で、捜査官のひとりがシナリオまで手掛け、オセージ連続殺人事件の顛末が放送されたようだ。





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