2023.10.27
スコセッシ映画における男性の描写と女性の視点
今回の作品の大きな話題のひとつは、長年スコセッシ映画を支えてきたふたりの男優、ロバート・デ・ニーロとレオナルド・ディカプリオとのスコセッシ映画での初共演が実現したことだろう。デ・ニーロは70年代の『ミーン・ストリート』以後、10回目のコンビ。ディカプリオは『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02)以後、6回目のコンビ作となる。かつて『ボーイズ・ライフ』(93)で共演した子役レオをスコセッシに推薦したのがデ・ニーロで、当初は『ギャング・オブ・ニューヨーク』で共演の噂が出たこともあったが、結局、共演は先送りとなり、遂にこの新作で実現した。
しかも、今回は叔父と甥という関係ゆえ、スコセッシ一家のふたりの結束の強さ(?)も感じさせる設定となっている。原作によると、レオが演じるアーネストは、28歳で、「西部劇のエキストラにでもいそうなハンサムな顔立ち」で、「妻に献身的な夫」として書かれている。一方、デ・ニーロ演じるヘイルは「人にものを頼むようなタイプではない。命令するタイプだった」と記述されている。どちらも原作のイメージを裏切らないキャラクター作りがされている。
スコセッシは今回の演技に関して、「ボブもレオも、これまでのベストワークのひとつになっている」と手離しでほめている。一方、製作にも立ち会った原作者グランも、レオの態度に感銘を受けたようだ。「レオからはひんぱんに電話をもらった。彼は本物のアーティストで、必死に役作りに取り組んでいた。その熱意と敬意にすごく感動した」と<AOL.com>のインタビューで語る。
さらにこの映画の大きな発見となっているのが、アーネストの妻、モリーを演じるリリー・グラッドストーンの好演だろう。前述のインタビューでは、原作者も彼女を絶賛している。「リリーほど見事にモリーを演じられる人物はいなかったと思う。彼女には大きな存在感があり、独特のユーモア感覚も持っている。それまで記録でしか知らなかった人物が、生きた人間として目の前に現れ、すごく驚いた」
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』画像提供 Apple
スコセッシはキャスティング担当の人物からケリー・ライカートの監督作『ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択』(16)に出演していたグラッドストーンを推薦され、彼女をモリー役に決めた。パンデミック中の製作ということもあり、最初はズームで顔合わせをしたようだが、そこでこの女優の持つ知性や自信、強さにひきつけられたという。この映画で見事な演技を披露した彼女は、ネイティブ・アメリカン系の実力派女優として大きな注目を浴びた。彼女自身は先住民の祖先を持つが、オセージの出身ではなかった。しかし、今回の映画を通じて、この地域の人々と親交を深めたという。
マーティン・スコセッシの映画は男のドラマが多いが、実は脇であっても、女性は重要な役割を果たしてきた。彼女たちは欲望や野心に突き動かされる男たちに冷静な眼差しを向ける存在だったからだ。どこか時代遅れともいえるマチズモは、今や“有害な男らしさ”と表現されることも多いが、スコセッシのギャング映画には、こうした男らしさを抱えた人物が登場することも多い。『アイリッシュマン』でロバート・デ・ニーロが演じたフランク・シーランも、そんな人物のひとりで、裏街道では殺人にも手を染め、家族のために金を稼いでいる。娘は父親のそんな裏の顔に気づいていて、冷たい眼差しを向ける。
今回の映画では、デ・ニーロ演じるヘイルは、先住民のために公的な貢献をしているが、一方、白人優位主義者でもあり、先住民の女性たちを利用しようと考える。そんなヘイルや彼の言いなりであるアーネストと対峙し、古い男らしさの奥にある怖さや弱点を浮かび上がらせるのがモリーという女性だ。舞台となる1920年代において、先住民も、女性も、マイノリティの存在だ。偏見や差別が横行した時代において、モリーは悲劇に遭遇しながらも、それにつぶされない強さを持っている。
スコセッシ映画の近年の女性像の中でも、モリーはひときわ印象的な役柄だが、これまで女性の内なる強さや賢さを、(世界を牛耳ろうとする)男性の野心や弱さと対比して描き続けたスコセッシだからこそ、実現した女性像ではないだろうか。撮影中に「グラッドストーンの演技から目を離すことはできなかった」とスコセッシも語っている。
近年のアメリカでは<ブラック・ライブズ・マター>で人種問題が浮上し、<#Me Too>以後、女性の主張が注目されるようになり、女性映画や女性監督も力を持つようになった。そんな動きの中で、先住民の女性の生き方に光を当てた作品という意味でも、この新作は現代の映画となりえている。