2023.11.28
原作とアニメパートの関係
原作はポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの小説「泰平ヨンの未来学会議」だ。その内容は、主人公の泰平ヨンが、地球の人口問題解決の討議のため、コスタリカ・ヒルトンで開催される「第8回世界未来学会議」を訪れる場面から始まる。しかしテロが起こり、参加者は暴動鎮圧のために軍が投下した爆弾の幻覚剤を浴びせられる。ヨンは下水道に避難するが、幻覚と現実の境界が分からなくなっていく。彼は冷凍睡眠され、2039年に目覚める。その世界では誰もが幻覚剤を服用し、幻覚が現実に置き換えられた奇妙なユートピアになっている。しかし別の薬を服用すると、本当の世界が見えてくる…というものだ。
映画の前半部に関しては、この原作とほとんど無関係だったが、この後半部は(主人公こそ泰平ヨンとは異なるが)ほぼこのストーリーが下敷きになっている。脚本と監督を務めたアリ・フォルマンは、「イスラエルの映画学校時代に思い付いたアイデアがベースで、レムが共産主義政権を暗喩的に批判した点を、ハリウッドの独裁へと置き換えた」と公式インタビューで語っている。
『コングレス未来学会議』(c)Photofest / Getty Images
非常に気になるのは、「なぜアニメーションで描いたのか?」という点だ。フォルマンはアニメが専門ではなく、監督デビュー作の『セイント・クララ』(96)や『Made in Israel』(01)は普通の実写映画だった。しかし出世作となった『戦場でワルツを』(08)では、ドキュメンタリー・アニメーションという手法を採用し、アニメ監督としてヨニ・グッドマンと組んでいる。またこの時に、ブリジット・フォルマン・フィルム・ギャングという会社を設立した。そして本作や、次回作となった『アンネ・フランクと旅する日記』(21)(*1)も、グッドマンと共にアニメとして作っている。
ただ、シンプルなFlashアニメだった『戦場でワルツを』と異なり、今回はかなり高品質な手描き中心のアニメだ。だが、監督の意図が理解できない若い日本人は、「アニメとして精度が低い」「絵の崩れ方がひどい」「日本のアニメをもっと観て研究して欲しい」などと、的外れな批評をしている。
しかし、ある程度アニメ史の知識があれば、フォルマンとグッドマンが1930年代のフライシャー・スタジオ(*2)を意識していると分かるはずだ。例えば、ベティ・ブープ、ココ、ビンボーなどのキャラクターが総出演する『白雪姫』(33)などを観てもらえば、ゴムのようにグニャグニャした手足など、30年代当時をうまく再現していることが分かるだろう。こういったカオスな雰囲気は、原作が持つ幻覚の中でさらに幻覚を見ているような世界観にマッチしている。
『白雪姫』本編
ちなみに、ミラマウントのモデルとなっている30年代当時のパラマウント社(*3)は、製作・配給・興行の全部門を垂直統合する巨大企業(*4)で、フライシャー・スタジオもその傘下(*5)にあった。フォルマンが、独裁的なハリウッド・スタジオのモデルとして、往年のパラマウント・グループを選んだ理由も、そこにあったとするのは考え過ぎだろうか。
それでもやはり、「なぜアニメで描いたのか?」という疑問は、完全には解決していない。映画前半のストーリーに沿っていくのであれば、後半も(『トロン』(82)のような疑似CGの)実写で描いた方が分かりやすかっただろう。しかし実写ベースとなると、絶えずメタモルフォーゼしている背景やモブキャラたちを、すべて3DCGで作ってコンポジットする必要がある。これは予算的に無理だと思われ、やはりアニメという選択は、やむを得なかったと思われる。
だが現在であれば生成AIを用いて、幻覚的な世界を表現することが容易になった。そのデザインも、人の想像力を超えたシュールなものが、大量かつ高速に生み出せる(https://www.youtube.com/watch?v=d8jFMKNy9EI)。これは、デザイナーやアニメーターの仕事を奪う可能性がある一方で、うまく用いれば大きな可能性も開ける。
*1 全編がアニメーション(一部ミニチュアと合成)による長編作品。
*2 同様にフライシャー・スタジオなど、1930年代のカートゥーンを意識した作品として、カナダのインディゲームデベロッパーStudioMDHRにより開発された2Dアクション・シューティングゲームの『カップヘッド』(17)がある。
*3 実際に劇中に登場するミラマウントのロゴは、パラマウントによく似ている。
*4 1948年にパラマウントは、最高裁から独占禁止法に触れるとする判決を受け、興行部門を分離させた。
*5 フライシャー兄弟と、フィルム式トーキー「フォノフィルム」の開発者であるリー・ド・フォレストが組み、1923年に配給会社のレッド・シール・ピクチャーズを設立した。フライシャー率いるアウト・オブ・ジ・インクウェル・スタジオは、1926年に世界初のトーキーアニメーションである『なつかしいケンタッキーの我が家』を制作し、この会社から配給した。だがフォノフィルムは普及せず、アウト・オブ・ジ・インクウェル・スタジオとレッド・シール・ピクチャーズは倒産する。パラマウントは1927年にフライシャー兄弟へ出資し、子会社としてフライシャー・スタジオを設立した。だがパラマウントは、1941年にいきなり兄弟を追放し、フェイマス・スタジオと改名してしまう。この理由は今でも謎とされ、社長を務めていたマックス・フライシャーの長男であるリチャード・フライシャーが、著書である「 マックス・フライシャー アニメーションの天才的変革者」の中で、やや陰謀説めいた持論を語っている。