2024.01.05
公開時の来日会見で語ったこと
『ギャング・オブ・ニューヨーク』の公開からすでに20年以上が経過しているが、スコセッシ監督と主演のレオナルド・ディカプリオは、公開直前に来日会見を行っている。場所は新宿のホテル、パークハイアット。2002年11月20日に二人が会場に登場し、筆者も会見に参加した。当時のレオは本当に若く、まじめに映画に取り組む爽やかな青年という印象だった。そんなレオを中年になっていたスコセッシは愛情を込めて見つめていた。この会見のメモが手元に残っているので、当時、日本のマスコミに語った発言をふり返っておきたい。
「日本に来るのは89年以来久しぶりだが、日本映画は今も私に刺激を与えてくれる」とスコセッシは開口一番語っていた。90年に公開された黒澤明監督のオムニバス映画『夢』に、スコセッシはゴッホ役で出演していたので、そのロケに参加するためかつて来日していた。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』の原作をスコセッシが読んだのは1970年で、その時から映画化を望んでいて、79年に原作権を取得し、マスコミの前でも映画化を発表している。しかし、映画化はうまくいかず、そのたびに何度もシナリオがリライトとなった。そして、原作を読んで、30年後に待望の映像化が実現した。
「ただ、今の方が時を得ている企画だと思う。個人の人権がとても重要な時代になっているからだ。人種、宗教を超えて、他者を受け入れる姿勢が問われるようになった」スコセッシは、当時、そう語っていた。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』(c)Photofest / Getty Images
この映画を撮り終えた2001年にちょうど“9・11”のテロが起きた。その後、2、3カ月間は、この映画について考えることを中断したが、「あの事件に直接影響を受けることはなかった」と会見では語っていた。後半、ニューヨークの風景としてツインタワーが登場するが、それも歴史の一部として、そのまま使われる。今では“9・11”からも時間が経過したが、会見時にはまだ生々しい印象があったので、スコセッシの話には同時代的な重みが感じられた。
映画は1927年に<ニューヨーク・トリビューン>などの記者だったハーバート・アズベリーが書いたノンフィクション「ギャング・オブ・ニューヨーク」(日本では2001年ハヤカワ文庫刊、富永和子訳)が原作となっている。ただ、映画化においてはフィクションも織り交ぜていて、「歴史的な事実とそうではない部分のバランスをとることに気を配った」と監督は語っていた。
レオが演じるアイルランド移民の青年アムステルダムが住む、“ファイブ・ポインツ”というニューヨークの地域は実在していて、彼が所属する“デッド・ラビッツ”というグループも実際に存在していた。原作では“デッド・ラビッツ”は「この街の最大にして最強のギャング団」で、「悪名高い猛者たち」とも表現されている。
ただ、アムステルダムという主人公は架空の人物である。冒頭場面でアムステルダムは、対立するギャング“ネイティブズ”のボス・ビルに、神父だった父親を殺され、その後施設で暮らし、最初は身元を隠してファイブ・ポインツ地区に戻ってくる。
「孤児となった主人公がどんな人生を送るのか描きたかった。彼は懸命に日々を生きている。当時のニューヨークでは、前代未聞のことが行われていたので、孤児がその街でどうサバイブするのか追いかけたかった」という話も会見では出ていた。
クライマックスでは住民たちが南北戦争(1861年~65年)へ参加するため、政府に無理やり徴兵され、それに怒りを感じた人々が大暴動を起こす。この“徴兵暴動”は1863年7月に実際に起きていて、映画の後半の見せ場となっているが、このパワフルな場面に関してスコセッシは「でも、とても黒澤監督の映画の描写には及ばないと思う」と謙遜した発言をしていた。
また、ニューヨークという街に関しては「ニューヨークで生まれ育ったので、この街を通じて生きることの意味を学んだ。そして、クリエイティブな物の“源”にはいつもニューヨークがあった。多くの言葉が飛び交っていて、そこにはエネルギーが満ちている。19世紀から街にはいろいろなものが混在していた」ともコメントしていた。
本作は初めてレオを起用した作品となったが、『ボーイズ・ライフ』(93)で子役だった彼と共演した盟友のロバート・デ・ニーロに勧められて、この映画で初めて彼を主役として起用することになった。レオはスコセッシのことを「偉大なるアメリカの巨匠監督」と呼んでいた。彼との仕事では「より高いレベル」が求められ、「ディテールに対するこだわりと集中力」が必要だったという。この役のために6カ月かけて、肉体を作り上げ、「とにかく、ベストをつくして演じるしかないと思った」とも語っていた。また、チネチッタのすごいセットは「これまで見たこともないようなもので、すべての瞬間を楽しんだ」と語り、その手ごたえを実感していたようだ。
映画の中ではバイオレントなカオスが描かれるが、映画の世界とは打って変わり、来日会見でのふたりは終始、和やかな雰囲気を見せていた。この作品で意気投合したふたりは、その後、名コンビとなり、『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』では6回目の顔合わせとなっている。