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『瞳をとじて』「私はアナ」という呪文、視線の返還

© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

『瞳をとじて』「私はアナ」という呪文、視線の返還

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南へ!



 「安堵と、屈辱と、恐怖をもって、彼は、自分もまただれか他のものによって夢見られた、ひとつの幻影だったことを理解したのである」(ホルヘ・ルイス・ボルヘス「円環の廃墟」)*2


 フリオ・アレナスの失踪事件が“未解決事件“を扱うテレビドキュメンタリーで扱われる。映画監督を辞め、小説家から翻訳家になった現在のミゲルは、経済的な理由も考慮した上でこの番組に出演する。この番組がきっかけとなり、ミゲルは当時の仲間たちと再会し、語らうことで、フリオの記憶を少しずつ手繰り寄せていく。しかし様々な人物が語るフリオの記憶や印象は、むしろミゲル自身が他人から“どのように見られていたか”を明らかにしているように思える。ここには、私自身が他人によって作りだされた“幻影”なのかもしれないという不安、アイデンティティへの問いがある。



『瞳をとじて』© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.


 『瞳をとじて』の前半にはメランコリーなムードが漂っている。しかしミゲルがマドリードからグラナダに南下するとき、映画の様相は少しずつ変化していく。かつて北のエピソードと南のエピソードの両方で一本の映画になるはずだったビクトル・エリセの『エル・スール』(83)。製作側が撮影途中に資金を引き上げたため、この作品は“未完”の作品として知られている(それにも関わらず傑作であることに何一つ疑いはない)。かつて南へ行くことが叶わなかったビクトル・エリセの映画が、ついに南へ向かう。


 海を臨み、光り輝くグラナダの風景は、まるで在りし日の映画のロケ現場のようだ。ミゲルはギターを抱え、『リオ・ブラボー』(59)の「マイ・ライフル、マイ・ポニー&ミー」を歌う。このシーンが感動的なのは映画史的引用であること以上に、ミゲルの別の顔、新たな表情が捉えられているところだろう。ここにはミゲルがそれまでに見せなかった笑み、陽気な歌がある。灰色だった画面が紅潮するように色づいていく。映画のライブ感、ドキュメンタリー性がある。マドリードの友人たちとグラナダの友人たちの間で、ミゲルは別の顔を持っている。俳優がいろいろな役を演じるように、ミゲルも様々な自分=役をほとんど無意識の内に演じている。一人の人間のパーソナリティとは、自分自身ではなく他人によって定義されるものなのかもしれない。





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