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『瞳をとじて』「私はアナ」という呪文、視線の返還

© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.

『瞳をとじて』「私はアナ」という呪文、視線の返還

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フェード・トゥ・ブラック



 『瞳をとじて』では、画面のフェードアウトが頻繁に行われる。映画の句読点であり、音楽的なリズムであり、呼吸であり、古典映画への憧憬でもある本作のフェードアウトは、何より“まばたき”のようでもある。ビクトル・エリセは“まばたき”と“まばたき”の間に封じ込められたものの真贋を分けない。あなたがそれを見たというのなら、それは真実になる。『ミツバチのささやき』の少女がフランケンシュタインと出会ったように。


 悲しみの王が探偵に渡した古びた写真に封じ込められた中国の少女は、誰が人生のどのタイミングでその写真を見るかによって、刻々と見え方が変わっていく。そのときその瞬間の少女の生が封じ込められているにも関わらず、一枚の写真の物語=想像力は常に他人によって更新されていく。ビクトル・エリセの映画は、映画が何を封じ込めることができるか、そして封じ込めることによって何が生まれ、何が死んでいくかの間で常に揺れ動いている。



『瞳をとじて』© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.


 失踪したフリオはすべてを忘れ、いまはガルデルという名で“過去のない男”としてシスターたちと施設で暮らしている。もっと快適な部屋があるのに、敢えてがらくた倉庫のような部屋で暮らす現在のフリオ=ガルデルは、自分の人生をコントロールしているようにも見える。フリオ=ガルデルは、かつて自分が出演した『別れのまなざし』の中国の少女の写真をなぜか大切に持っている。しかしすべての真意は不明のままだ。


 フリオの娘アナ(アナ・トレント)が、不意にハッとするような言葉をミゲルに向けて言い放つ。目の前にいるフリオのことを父親だと思えなかったら?アナが父親と再会するシーンには崇高なまでの孤独の影がある。アナの瞳が父親の“イメージ”をキャッチしようとする。フェード・トゥ・ブラック。そのとき何かが生まれ、何かが死んでいく。





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