© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.
『瞳をとじて』「私はアナ」という呪文、視線の返還
視線を返す
ビクトル・エリセの短編に『Sea-Mail』(07)という作品がある。アッバス・キアロスタミとの往復映像書簡として撮られた作品だ。この短編でビクトル・エリセは瓶の中に手紙を詰め、海に投下する。いつ誰がこの手紙を読むのか分からない手紙。あるいはそのまま海の藻屑となって消えていくかもしれない手紙。瓶詰にされた手紙の旅は、ここから始まるかもしれないし、ここで終わってしまうかもしれない。無限と有限の両義性があるという意味で、この短編は極めてビクトル・エリセらしい作品といえる。
『エル・スール』の“南編”に限らず、ビクトル・エリセにはいくつもの実現できなかった企画がある。『La Promesa de Shanghai』(上海の約束)や蓮實重彦が「映画巡礼」の中で明かしている『ベラスケスの鏡』。しかし『瞳をとじて』には長編映画を撮れなかった悲壮感よりも、悲壮感を超越した心の平穏さへの祈りが強く滲んでいる。届かなかった手紙は、瞳を閉じることで追悼され、いまも手紙を拾う人を求めて海を彷徨い続ける。本作のミゲルとフリオは何かを待っているかのように門の前で海を見下ろし続けている。
『瞳をとじて』© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.
『瞳をとじて』は移動映画館で始まった『ミツバチのささやき』と円環を閉じるかのように映画館のシーンで終わる。本作のすべてを超越するラストシーンには、無限と有限の両方の深淵が浮き上がる。単純な映画賛歌とは一線を画している。ミゲルの愛すべき親友マックスは、カール・テオドア・ドライヤーが死んで以来、映画に“奇跡”は起きていないと冗談半分な言葉を投げかける。ミゲルはかつての親友であり、自分の映画の俳優であり、アナの父親であるフリオが記憶を呼び覚ます“奇跡”に賭ける。
『瞳をとじて』は、アナ・トレントという俳優の少女時代に、そしてあらゆる過ぎ去った時間に視線を返すことで、映画がいったい何との架け橋になりえるかという問いそのものを投げかけている。それは失われた時間などないという強固な宣言のようにさえ思える。スクリーンから投げかけられる視線は、カットの声がかかるまで私たち観客を見つめ返し続けている。
*1:[The Cinema of Victor Erice An Open Window Revised Edition] Edited by Linda C. Ehrlich
*2:ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集/エル・アレフ』篠田一士訳 グーテンベルク21
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『瞳をとじて』
2月9日(金)よりTOHO シネマズ シャンテほか全国順次ロードショー中
配給:ギャガ
© 2023 La Mirada del Adiós A.I.E, Tandem Films S.L., Nautilus Films S.L., Pecado Films S.L., Pampa Films S.A.