世界のロケットボーイズたち
ヴァンガード計画というのは、アメリカ海軍の初期宇宙プロジェクトの1つである。劇中では、フォン・ブラウンと関係あるかのように語られているが、彼はレッドストーン兵器廠・陸軍弾道ミサイル局の開発事業部長であり、この計画には関与していない。
ちなみに、初めてホーマーがクエンティンに話しかけた時、会話のきっかけとなったのがロケット開発史の蘊蓄だった。劇中でクエンティンは、「ロケットの歴史は11世紀の中国(*4)から始まった」と講義を始めるが、その後はフェイドアウトされてしまう。だが原作では、宇宙工学の創始者であるコンスタンチン・ツィオルコフスキー(*5)、1926年に世界で初めて、液体燃料ロケットの打ち上げを成功させた米国のロバート・ゴダードなどについても語っている。
しかし実際にはツィオルコフスキーや、ドイツのヘルマン・オーベルトらに影響された若者たちのグループが、世界各地で実験を繰り返していた。例えば、1930年にロケット車やロケットそりで華々しい成功を収めるものの、実験中に爆発事故で亡くなったドイツのマックス・ヴァリエ。1933年にGIRD-Xロケットの打ち上げを成功させたソ連の反動推進研究グループ(GIRD)。後にジェット推進研究所(JPL)の2代目ディレクターとなるフランク・マリナなどだ。彼らも周囲の無理解と戦いながら、地道に実験を繰り返していたのである。
*4 現在は否定されており、14世紀のヨーロッパが最初だという説が有力である。
*5 帝政ロシアからソ連にかけて活躍した物理学者。ロケット噴射による増速度の合計と噴射速度、質量比の関係を示す「ツィオルコフスキーの公式」の他、多段式ロケット、宇宙旅行、宇宙船、人工衛星、軌道エレベーターなどの構想を、論文やSF小説で発表した。
あらすじ③
オルガ・コール・カンパニーの事務所では、ジョンが経営陣から鉱員の半数を解雇する計画を知らされていた。ジョンは部下の雇用を守るため、新規の堅坑開削を提案する。しかし経営陣は、「この炭鉱の閉鎖は決定事項だ」と一蹴した。
一方そのころ4人組は、試作ロケットの発射実験を行うこととし、ホーマーは「オークI号」と命名する。ロイは名前の由来を尋ねると、オデルは「飛べない鳥のことだ」(*6)と説明した。彼らが導火線に点火すると、「オークI号」の軌道はカーブを描き、炭鉱の方へと向かって行った。大事故を覚悟したホーマーは、鉱員たちの罵声を浴びながら事務所に向かう。ジョンの手には、拾われた「オークI号」が握られている。彼はホーマーに罵詈雑言を浴びせ、炭鉱敷地内での実験禁止を言い渡し、「オークI号」をゴミ箱に捨てた。
『遠い空の向こうに』(c)Photofest / Getty Images
自宅の地下室に戻ったホーマーは、これまでに集めたロケットの材料や、薬品、工具などが、全て廃棄されていたことに愕然とする。翌日、拾い集めた材料を山中に持ち込んで、メンバーたちと今後について話し合うが、解決策は見出せず、自暴自棄になってしまう。ロイは、「鉱員として働くのも悪くないかも」と諦めのような発言をし、ホーマーは落盤事故で首を切断された、オデルの父を例に挙げて反論する。カッとしたオデルは、ホーマーと取っ組み合いになり、グループは分裂してしまう。
一人ぼっちになってしまったホーマーが、ロケットの材料を抱えて8マイル(約13km)先のボタ山(不要物として分離された尾鉱の捨て場)に向かって歩いていると、トラックにヒッチハイクしてきた他のメンバーが追って来た。結局、彼らは仲直りし、新たな本拠地を築くため、いっしょにボタ山へ向かう。
ホーマーは、ここを「ケープ・コールウッド」と命名し、基地の建設を始める。メンバーは、廃材置き場から木材やトタン板を盗み出して、掘っ建て小屋の退避所を作るが、発射台にはコンクリートが必要となる。そこでホーマーは、仕方なくジョンに提供を依頼に行った。ジョンは「実験は禁止と言っただろう」とか、ホーマーが尊敬しているフォン・ブラウンに対し「あんなやつは流行が終われば、すぐにドイツに送還(*7)されるぞ」などと散々文句を言うものの、最後にはセメントの提供を許してくれる。
クエンティンはホーマーに、化学の授業中に塩素酸カリウムと砂糖の混合物を作り、これを新しい推進剤にしようと提案する。しかし、教師に見つかりそうになったため、慌てて排水溝に流した。すると引火性のガスが発生し、教室中の実験台の排水溝から炎が上がる。これを見た二人は、新推進剤の可能性を確信した。
*6 オーク(Auk:ウミスズメ科)は、潜水性の鳥類であるが、水面スレスレを飛行することが可能である。
*7 アメリカ軍は第二次世界大戦末から終戦直後にかけて、ドイツ人の優秀な科学者をドイツからアメリカに連行した。これは「ペーパークリップ作戦」と呼ばれ、その大部分がフォン・ブラウンを中心とするV2ロケットの技術者だった。さらに「スペシャル・ミッションV2」によって、貨車300両分以上のV2ロケットの部品と器材を捕獲される。これらの部品は、ニューメキシコ州ホワイトサンズ性能試験場に運ばれ、組み立てられて飛行実験に用いられた。この実験フィルムは、映画『月世界征服』(50)の冒頭にも流用されている。