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『遠い空の向こうに』ロケット打ち上げに情熱を注ぐ、青春映画の佳作(後編)

(c)Photofest / Getty Images

『遠い空の向こうに』ロケット打ち上げに情熱を注ぐ、青春映画の佳作(後編)

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サイエンス・フェアとは



 この盗難事件は事実だったそうだが、フォン・ブラウンの写真は残されていたらしい。結局、犯人は不明のままだが、誰かがホーマーの受賞を妨害するためにやった可能性はある。とは言え、本来ライバルである他校の出品者たちからも評価は高く、審査当日はロケットの研究テーマが不利にならないように、“日本やヨーロッパの学生運動のような”デモすら行われたそうだ。


 またフォン・ブラウンが、この全米サイエンス・フェアに来ており、4人組の研究を高く評価していたのも事実だが、ホーマーには出会っていない。両者のタイミングが合わず、会場内でずっとすれ違いだったそうである。


 そもそもサイエンス・フェアというのは、1930年代にニューヨーク市で始まった。当初は、単なる展示やデモンストレーションが中心だったが、1939年の「ニューヨーク世界博」をきっかけとして、生徒が科学や工学の進路に進むことを、奨励・支援するための手段として知られるようになった。


 そしてサイエンス・フェアが、全米に広まる大きな出来事となったのが、1957年のスプートニク・ショックである。ソ連に技術で大きな差を付けられたという衝撃から、科学や数学の教育に対する大幅な見直しが求められた。そして国家防衛教育法が制定され、生徒全員一律ではなく、優秀な者には特別な教育を行うことが許され、飛び級進学も推奨される。また、大学の奨学金制度も拡充され、プラネタリウムや科学博物館も積極的に作られた。「宇宙時代の人類」をテーマとした、1962年の「シアトル万国博覧会」もその一環で企画されたものだった。



あらすじ⑧



 帰郷したホーマーは、町の英雄として祝福される。彼が真っ先に報告に行ったのは、入院中のライリー先生だった。そして、その帰り道でホーマーは炭鉱に寄る。彼は父親に、優勝の報告をし、最後の打ち上げを見に来て欲しいと頼む。だがジョンは、いつものように冷たい態度を見せた。だが悲しげに去って行くホーマーに、ジョンは「ヒーローにあったんだろ。本人と気付かずに」と声を掛ける。ホーマーは「フォン・ブラウン博士は素晴らしい人だけど、僕にとって本当のヒーローじゃない…」と答える。


 いよいよ最後、かつ最大のロケットの打ち上げの準備が始まる。名称はこれまでの「オーク」ではなく、「ミス・ライリー号」と改められた。見学には、かつてないほど多くの人が集まっており、ホーマーを振ったドロシーも寄りを戻そうと彼に声を掛けてくる。



『遠い空の向こうに』(c)Photofest / Getty Images


 だがホーマーは彼女を適当にあしらい、これまで協力してくれたバイコフスキー、ボールデン、ライリー先生、そしてエルシーに感謝の言葉を奉げる。そして最後は、ゆっくり後から姿を見せたジョンに、「どうしても父さんにやって欲しい」と言って、ロケットの発射ボタンを渡す。


 ジョンが点火させた「ミス・ライリー号」は、高く高く上昇して行った。その噴煙の軌跡は、町の中心部の商店や、炭鉱、そしてライリー先生の入院している病院の窓からも見えるほどだ。ジョンは、その雄姿を眺めながら、ホーマーの肩をそっと抱く。そしてそのイメージに、スペースシャトルの打ち上げ映像が重なる。


 映画の最期には、当時のホームムービー映像(カラーの8mmフィルム)が用いられており、主要登場人物の紹介(その後の人生についての説明がされる)や、「オーク」の打ち上げ実験の様子も見られる。





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