その後のホーマー・ヒッカム・ジュニア
正確には、最後に打ち上げられたロケットは「ミス・ライリー号」ではく、それまでと同様に「オーク」と命名されていた。理由は、この時ライリー先生の容態はやや持ち直しており、打ち上げ見学にも来ていたからだ。実際にライリー先生が亡くなったのは1969年で、まだ31歳だったそうだ。ただ、原作者のホーマー・ヒッカム・ジュニアは、「映画のように『ミス・ライリー号』と命名すべきだった」と述べている。
劇中に登場しているロケットたちは、モデルロケットを実際に飛ばしている。だがラストに登場する、どこまでも上昇して行くシーンは、さすがにILMがVFXで作った映像だ。
その後ホーマーは、バージニア工科大学を卒業後、宇宙関係には進まず、アメリカ陸軍に6年間勤務してベトナム戦争に従軍した。ソ連製ロケット弾の不発弾を見付けた時は、反射的にノズルを調べたそうだ。1970年に名誉除隊した後は、1978年までハンツビルのレッドストーン兵器廠・陸軍航空ミサイル軍でエンジニアとして働いた。ここは、フォン・ブラウン博士がアメリカに来て、最初にロケット研究を始めた組織であるが、彼が博士に会うことはついになかった。
そして、1981年までドイツの第7陸軍訓練司令部で働いた後、1981年にレッドストーン兵器廠内のマーシャル宇宙飛行センターに勤務する。ここは、1970年までフォン・ブラウンが所長を務めていた所で、実際に博士と働いた経験を持つ人々が勤務していた。
彼の主な仕事は、スペースシャトルの科学ペイロードや、船外活動に関する宇宙飛行士の訓練であった。その中には、打ち上げ後半年で故障した太陽観測衛星ソーラー・マックスの修理ミッション、ハッブル宇宙望遠鏡の配備と2回の修理ミッション、毛利衛さんが搭乗したスペースシャトルSTS-47の宇宙実験室Spacelab-Jなどがある。
そして国際宇宙ステーションのトレーニング・マネージャーとなり、各国の宇宙飛行士の訓練を担当する。その中で特に気が合ったのが、日本人の土井隆雄さんだった。ホーマーが1998年にNASAを退職する記念として、土井さんが日本人初の宇宙船外活動を行ったスペースシャトルSTS-87のミッションに、全米サイエンス・フェアで貰った優勝メダルと、実際に展示したラバール・ノズルを持って行ってもらったそうだ。
公開後の反響
『遠い空の向こうに』は、製作費2,500万ドルに対し、興行成績は世界トータルで3,470万ドルだった。けっして良い数字とは言えないが、長く愛される作品となる。聖地巡礼のようにロケ地を巡るファンや、メイキング本を自費出版したエキストラの人も現れた。
また映画化を記念して、「オクトーバー・スカイ・フェスティバル」が、映画の舞台である実際のコールウッドで毎年開催される。このイベントには、ホーマーが毎回参加した他、NASA宇宙飛行局のビル・レディ次長や、宇宙飛行士のトーマス・ジョーンズがゲストとして招かれる。スプートニク50周年となった2007年には、兄のジムを演じた俳優のスコット・トーマスも訪れている。
だが、コールウッドの人口減少は止まらず、地元のボランティア不足から、2011年開催された第13回大会で最後になると発表された。そこで、2012年から開催地がウェストバージニア州ベックリーに移され、ホーマーの他、ロイ・リー・クック、オデル・キャロル、ビリー・ローズ(劇中には登場しない)といった、本物のロケットボーイズも参加した。
ベックリーでは、2019年まで毎年開催され続けるが、2020年からはコロナで中止になる。そして2023年から、映画のロケが行われたテネシー州のオリバー・スプリングスで再開され、2024年も開催が予定されている。
【参考文献】
ホーマー・ヒッカム・ジュニア 著: 「ロケットボーイズ 上/下 (草思社文庫)」草思社 (2016)
佐藤 靖 著: 「NASA―宇宙開発の60年 (中公新書)」中央公論新社 (2014)
的川泰宣 著: 「月をめざした二人の科学者‐アポロとスプートニクの軌跡 (中公新書)」中央公論新社 (2000)
大沢弘之 監: 「日本ロケット物語 新版」誠文堂新光社 (2003)
ナタリア・ホルト 著: 「ロケットガールの誕生: コンピューターになった女性たち」地人書館 (2018)
1982年に日本初のCGプロダクションJCGLのディレクター。EXPO'90富士通パビリオンのIMAXドーム3D映像『ユニバース2~太陽の響~』のヘッドデザイナーなどを経てフリーの映像クリエーター。NHKスペシャル『生命・40億年はるかな旅』(94)でエミー賞受賞。VFX、CG、3D映画、アートアニメ、展示映像などを専門とする映像ジャーナリストでもあり、映画雑誌、劇場パンフ、WEBなどに多数寄稿。デジタルハリウッド大学客員教授の他、女子美術大学専攻科、東京藝大大学院アニメーション専攻、日本電子専門学校などで非常勤講師。主要著書として、「3D世紀 -驚異! 立体映画の100年と映像新世紀-」ボーンデジタル、「裸眼3Dグラフィクス」朝倉書店、「コンピュータ・グラフィックスの歴史 3DCGというイマジネーション」フィルムアート社
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