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『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』現在の世界と心境の変化 ※注!ネタバレ含みます

©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee

『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』現在の世界と心境の変化 ※注!ネタバレ含みます

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原作漫画とアニメ、製作年代の差



 本作同様に原作者がかなりの部分で製作にかかわっている『前章』のスケジュールの遅れを考えると、この大仕掛けの欠如に製作上の事情からの影響を邪推することもできるが、さすがに大事な部分を投げっぱなしにしたのだという解釈は乱暴に過ぎるだろう。ここには、ストーリー上の必然的な意味があるはずなのである。


 原作において、門出たちの“親世代”の代表である人物が活躍するという展開は、少女たちを主人公にしていたはずの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』が、じつは、その人物に近い世代であるといえる浅野いにお自身の個人的な実感であったことが示唆されているのだと解釈することもできる。そこに、若者が割りを食うような社会を作り出してしまった、「おっさん世代」の贖罪の意味も含まれているのだとすれば、これが浅野いにおなりの“誠実さ”だったのではないかと考えられる。


 しかし、2014年から2022年にかけて連載された原作漫画から、2024年まで製作されていた劇場アニメーションには、時間の差が存在する。東京オリンピックから大阪万博へと、不安感を喚起させる対象もシフトされた。そんなズレと気分の変化が、異なるラストにたどり着いた大きな理由になっているのではないだろうか。



『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章』©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee


 原作で用意されていた大仕掛けとは、過去への時間移動を利用して、悲劇を回避するパラレルワールドの一つを生み出そうという試みだった。それは、『ドラえもん』の現代解釈版としての役割を果たすとともに、「SF漫画」としての面目躍如を果たしたといったところだろう。ただ一方で、それが問題含みの世界を生きる人々にとって、具体的な解決策になりにくいことも事実なのだ。なぜなら、原作で未来への警鐘が描かれた後も、世界では新たな戦争、紛争によって多くの人々が犠牲になり、日本でも不寛容による悲劇の数々が起き続けているからである。その喪失は、すでに不可逆なものなのだ。


 本作では、大葉圭太から、おんたんが“やり直し”をしているという真相を知らされ、さらに新たな時間移動を画策しているのではないかという懸念を受けた田井沼マコトが、「悪いと思うんなら、こっちの世界で責任取るのが筋なんじゃねーの?」と、発言をしている。このセリフを踏まえると、原作の解決はパズルのピースがはまるような気持ちの良いものだった反面、一部で責任を回避しているようにも感じられるのである。過去をやり直したところで、圧倒的な破壊や、悲劇が起こった世界線は存在し続けるのだ。




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