2025.02.14
アンチ・スペクタクル、アンチ・クライマックス
そもそもファルコンになる以前、サムは傷ついた兵士の話を聞き、彼らに語りかけるカウンセラーだった。また過去にも描かれてきた通り、サム自身も深く傷ついた経験の持ち主である。サムの持つスーパーパワーは、耳を傾け、受け入れること――そのようにまとめてしまえば、あまりにも理想論的すぎるだろうか。
けれども、現にサムの着用するキャプテン・アメリカのスーツは攻撃より防御に特化している。彼は他者の攻撃を何度も受け止め、蓄積されたエネルギーを解き放つのだ。また、映画の冒頭では青色のイメージを伴っていたサディアスが赤いレッドハルクに変貌することと、その攻撃をサムが赤・青・白の盾で受け止めることもきわめて象徴的だ。アメリカで民主党が青色、共和党が赤色で表現されていることを踏まえれば、その意味はより重層的になる。
ほかにも本作は政治的な含意が随所にある。終盤の「政府の約束が守られなかった」というモチーフは、南北戦争後に解放された黒人奴隷に対し、政府が約束の補償を果たさなかったことを意味する“40エーカーズとラバ1頭”に重なる。赤色であるレッドハルクの暴走でワシントンD.C.が破壊される様子は、2021年1月6日に発生した連邦議会議事堂占拠事件を思わせる。もっとも、尾崎首相がサディアス大統領に言い放つ「あなたも貴国も力で奪うのが常だ」という言葉が、ドナルド・トランプ政権によるカナダやグリーンランド、ガザ、ウクライナへの態度を言い当てたことは予期せぬ偶然だろう。
現実とは異なるMCUの世界観にさまざまな歴史的・政治的イメージを反射させながら、本作はキャプテン・アメリカの、ひいてはアメリカの責任と力を考察した。スーパーヒーロー映画/MCU映画として異様にストイックな作劇であること(ユーモアが余計に感じられるほどのタイトさと緊張感だ)と、アクションやスペクタクルの演出を抑え、ラストさえほとんど盛り上げない姿勢にも一貫した意図が見える。すなわち、「力」は単なる快楽のためにあってはならないということだ。
『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』(C) 2025 MARVEL.
むろん、冷静に考えれば脚本はリアリティに乏しい部分もある。各国の外交はずさんなものだし、現実の日本政府はアメリカにあれほど強く出られない。また、自衛隊のインド洋派遣がどのように承認されたのかもわからないのだ。しかし、それらはMCU映画に求めるべきものではないだろう。
欠点を補って余りあるのが、骨太のテーマとストーリーに揺るぎない説得力を与えた俳優陣だ。サム役のアンソニー・マッキー、ホアキン役のダニー・ラミレス、イザイア役のカール・ランブリーは『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』を踏まえ、より真に迫る芝居を見せる。サディアス役のハリソン・フォードは、主役同然の存在感と活躍ぶりに加え、怒り・悲しみ・後悔・混乱が押し寄せる感情の洪水を完璧に表現した。
最後に、彼らの演技を見事に舵取りし、MCU映画の枠組みでめっぽうスリリングな会話劇を演出したジュリアス・オナー監督の才能とスキルも特筆しておきたい。荒唐無稽な展開に転じてもなお、映画はどこか地に足のついた印象を保ちながら、最後には「キャプテン・アメリカの物語」として幕を閉じるのだ。いずれ、今回ほど制限の多くないプロジェクトで、オナー監督が再びキャプテン・アメリカ/サム・ウィルソンの物語を手がけることに期待したい。そして、サムをリーダーとする新しいアベンジャーズの物語が、今後どのように動き出すのかということにも。
[参考資料]
https://collider.com/captain-america-brave-new-world-director-julius-onah/
文:稲垣貴俊
ライター/編集者。主に海外作品を中心に、映画評論・コラム・インタビューなどを幅広く執筆するほか、ウェブメディアの編集者としても活動。映画パンフレット・雑誌・書籍・ウェブ媒体などに寄稿多数。国内舞台作品のリサーチやコンサルティングも務める。
『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』を今すぐ予約する
『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』
2月14日(金)全国劇場公開
配給:ディズニー
(C) 2025 MARVEL.