「心」に迫るミクロな群像劇
たくさんのキャラクターが入り乱れるMCUは、いわば群像劇をもっとも得意とするフランチャイズだ。スーパーヒーローが集結し、ときに協力し、ときに対立しながら脅威と対峙する『アベンジャーズ』シリーズ、寄せ集めのヒーローチームを家族に見立てた『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズ、より巨大な一大絵巻を目指した『エターナルズ』(21)など……。
しかし、『サンダーボルツ*』の構成はそのなかでも特殊だ。主要人物のほとんどがMCUへの登場歴が浅く、しかもそれぞれに前回の登場時とはやや異なる環境で姿を見せる。さらに、どのキャラクターも個性豊かであることは(過去作を観ていれば)明らかだが、観客がその具体性を思い出す暇もないうちから群像劇が同時並行で動き出すのだ。
エレーナとUSエージェント、ゴースト、タスクマスター、ボブの「資産庫チーム」と、ヴァルに疑いの目を向けるバッキー、そしてやや遠方にいるレッド・ガーディアン。3つのブロックに分かれ、同時多発的に発生したストーリーラインは、やがてひとつの焦点に向かって収斂していく。その焦点とは、なんと本作が初登場となるボブなのである。
『サンダーボルツ*』(c)2025 MARVEL
新キャラクターのボブを通して多彩なキャラクターたちを見つめ直す構造は、過去作を熱心に追っていない観客にも登場人物の個性を正確に伝える。ドラマシリーズだけに登場したキャラクターがおり、映画だけを観ていてはわからない側面もある以上、この語り口は現在のMCUにおける群像劇としては最適解だっただろう。
しかも本作は、そのような構成にさらなるツイストを効かせている。ボブのもとに焦点を絞った先にあるのは、寄せ集められたアンチヒーローたちと、そしてボブ自身の“心”なのだ。彼らはみな過去に失敗を犯し、罪や後悔、孤独、そして絶望を抱えながら生きている。その闇と向き合い、自分自身を救えない者に、どうして世界が救えるというのか?
映画の序盤で大きく広げた風呂敷を畳みつづけると、そこにはきわめてミクロな世界が広がっている。『サンダーボルツ*』の特異性は、スーパーヒーロー映画としてのジャンルやフォーマットを一切崩すことなく、そのミクロな“心”の世界をスクリーンいっぱいに映し出したところだ。