『インナースペース』あらすじ
アメリカのある研究所で世紀の大実験が始まろうとしていた。元パイロットのタックは実験用のポッドに入り、ミクロサイズに縮小される。そしてそのままウサギの体内に注入され・・・・・・のはずが、その時マイクロ・チップを狙うスパイが乱入。追い詰められた所長は、手にあった注射器を通りすがりの男ジャックに発射してしまった・・・・・・!!
Index
公開当時、意外にも不振に終わった興行成績
『グレムリン』のジョー・ダンテ監督が放つこの映画がアメリカで封切られたのは1987年の7月1日。公開前に行われた試写会はいずれも大盛況で、観客は大いに笑い、大いに歓喜し、関係者の誰もが「これは『グレムリン』を超えるヒットになるのでは!?」と期待を寄せていたと言う。
しかし、いざ蓋を開けてみると不思議な現象が起きた。独立記念日を挟んだ週末の興収ランキングで、『インナースペース』は公開2週目の『ドラグネット』や『スペースボール』に勝てず、初登場3位スタートという結果に留まったのだ。さらに2週目以降も、強敵ぞろいのボックスオフィスで勢いを失い、いつの間にかトップ10圏外へと消えてしまった。逆にこの頃、底辺からグイグイとランキングを上昇させていったのは、クリス・コロンバス監督作『ベビーシッター・アドベンチャー』。かつて『グレムリン』に脚本家として携わった若きコロンバスにあえなく抜き去られていく時のジョー・ダンテ監督の心境たるや、想像するに余りある。
実際に『インナースペース』を鑑賞した観客は誰もが大満足。しかし興行成績は低調……。なぜ、このようなギャップが生まれてしまったのか。DVDのコメンタリーに耳を澄ませると「配給会社の売り出し方がまずかった」というダンテ監督の敗戦の弁が聞こえてくる。要は「SF要素だけが強調され、本作のもう一つの魅力である“コメディの要素”が見落とされた」というのである。そんな馬鹿な、と思ってしまうが、よくよく考えると『ドラグネット』や『スペースボール』もコメディ色の強い作品だし、『ベビーシッター・アドベンチャー』だって同様だ。「サタデー・ナイト・ライブ」出身のコメディアンらが大人気を博していた80年代、やはり”コメディ”は米興行を左右する大きなカギだったのかもしれない。
『インナースペース』© Photofest / Getty Images
また、ダンテ監督は『インナースペース』というタイトルにも不満を抱いていたようで、これに代わるような良いタイトルが思い浮かばなかったことを未だに悔やんでいる。確かに『ベビーシッター・アドベンチャー』という瞬時にしてコメディと分かるタイトルに比べると、響き的に少し弱いことは否めない。実はこの『インナースペース』というタイトル、60年代の傑作SFにして本作の元ネタとも言える『ミクロの決死圏』の中のセリフとして2度ほど登場するワードでもあるのだが、そんな由緒正しき遺伝子を受け継ぎながらも、興行的な魔法は引き起こせなかった。それが本作をめぐる一つの不幸なのである。
しかし、決して負けてばかりではなかった。『インナースペース』の逆襲はむしろソフト販売時に起こった。公開時のキャンペーンの反省を生かしたのか、あるいは作品のクオリティが時間をかけてゆっくりと世間へと広まったのか、本作のVHSは当時としての爆発的なセールスを記録したという。
そしてキャンペーンといえば、この日本でも独自のVHS展開が巻き起こった。日本語字幕の監修をビートたけしが担当したり、日本語吹き替え版では当時大人気だった劇団「夢の遊眠社」の野田秀樹と上杉祥三が、マーティン・ショート&デニス・クエイドに勝るとも劣らない抜群のコンビネーションを披露。この映画の面白さを少しでもわかりやすく伝えるべく、様々な趣向が凝らされたのである。