2025.07.24
具体的にここが凄かった~オープニング編
最初の感心ポイントはオープニングです。もう解禁されている情報ですが、本作はスーパーマンがスーパーマンとしてデビューして、世界中で活躍している世界が描かれます。内容的には「2」っぽい感じがするんですね。思い切った決断ですが、今回のオープニングはその基本方針に完璧に合っていました。まずは設定を『スターウォーズ』(77)流の字幕説明で大胆に省略。さらに「スーパーマンが負ける」という、非常に劇的なシチュエーションを先に見せてしまう。いきなり観客に「もう始まった!?」「スーパーマンが負けた!?」この2つのサプライズをプレゼント。衝撃度が大事な“掴み”としては100点満点と言えるでしょう。
ただ、私がビックリしたのは別の面にありまして。それは、この負けたスーパーマンが北極に落下するシーンが、予告で散々見たシーンだったことです。これ、けっこう珍しいなと。
観客は予告で見たシーンを意識するものです(私は「スーパーマンが負けるのは中盤くらいかなぁ」と思っていました)。そんな予告で認知されているシーンを冒頭にぶつけることで、「あっ、あのシーンがもう来た!」あるいは「おっ、予想を裏切って来た」という驚き、そして「じゃあ残りの時間は何があるの?」と期待を煽ることができるのです。
『スーパーマン』(c) &TM DC(c)2025 WBEI
こう書き出すと単純に聞こえます。しかし、ハリウッド映画は複雑怪奇。予告にあったシーンが消えていることすら多々ありますし、逆に予告が想定外の反響を呼ぶこともあるわけで。それこそ同じDCコミックを原作とする『スーサイド・スクワッド』(16)は、予告が大ウケした結果、ダーク路線で作っていた本編を無理やりポップに作り直したという経緯があります。
対して本作のオープニングは、予告と最大限の相乗効果を上げています。そして、この効果を作り出した流れを細かく分けると……、「脚本で予告に使える強烈なシーンを用意する」→「そのシーンを予告と本編に組み込む」→「予告を公開する」→「予告が話題になる」→「実際に本編で見ても面白くする」→「本編では予告で話題になる部分より良いシーンを用意する」→「ちゃんと予告通りの内容で公開する」といった、いくつもの工程を着実に踏まないといけません。もちろん周囲から(仲の良い人や、目上の立場の人を含む)の「予告がイイ雰囲気だから、本編をこういうふうに変えない?」という言葉も流しつつです。自分のアイデアを死守する厳しい覚悟が必要です。
本編で観客を盛り上げるために、予告を上手く使う。これは簡単そうに見えて、実は難しい。本作はそんな予告との相乗効果を計算したうえ、しっかりと実現しています。もちろん、予告と公開までの流れが同期していれば、それこそホウレンソウがきちんとしていれば、十分にやれることですが……。実際、やっている映画は少ないですし、かく言う私も恥ずかしながら、同じことを「やれ」と言われたら……、正直、100%出来るとは思えません。映画と同様、ゲームも「画面は開発中のものです」が普通なのですから。