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『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』技術革新を牽引したキャメロンが描く“家族の物語”(前編)
2025.12.24
『アバター』シリーズの核心は父性の神話
しかし『アバター』シリーズは、この類型に似ているようでいて、実は決定的に異なる点を持っている。このシリーズが、「白人の救世主モノ」に分類されがちなのは、「ジェイクがナヴィ社会に同化し、彼らの戦いに参加する」という表層的な構造だけを見ているからだ。だがそれでは、大きな点を見失いかねない。
『アバター』シリーズは、“異文化の交流と衝突の物語”に見えて、実は“父と子の物語”として構造化されているのだ。今回の『FaA』では、二組の父子がストーリーの重要な位置を占める。一組はジェイクとロアク。もう一組はクオリッチと彼の息子スパイダー(ジャック・チャンピオン)だ。本作ではこの二組を用い、父性を“光と影”として分割させたものとして解釈できる。つまり、ジェイクとロアクが“光”の側の父性を、クオリッチとスパイダーが“影”の側の父性を担っている。
ちなみに、論理的なエンジニアだったキャメロンの父は、規律を重んじるタイプの人物だった( https://the-talks.com/interview/james-cameron/ )。一方で、アーティストだった母親の影響を受けたキャメロンには、父は理解しがたい存在であり、彼はその厳格なしつけに苛立って、14~15歳ごろ反抗的になったと語っている( https://achievement.org/achiever/james-cameron/ )。これは『WoW』ならびに『FaA』における、ロアクの「父に認められたい」という心理は、キャメロン自身が父親に抱いていた感情と重なる。

『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』© 2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.
さらにジェイク側の視点には、『アバター』シリーズの脚本を執筆中の、キャメロンの心情が反映されているという。当時の彼には、10代で反抗期の5人の子供がおり、結果として自身の父親がそうだったように、規律を求めて厳しく接してしまう( https://www.koimoi.com/hollywood-news/avatar-fire-and-ash-james-cameron-says-fatherhood-helped-bring-the-film-to-life-i-remember-my-anxious-teenage-years/ )。もちろん根底には深い愛情があるのだが、なかなか息子たちに理解されない悩みがあった。つまりジェイクとロアクの関係は、キャメロン自身の体験に基づく、父性の“光”の側面(愛・不器用さ・成長)といった要素を反映させたものと解釈できる。
一方で、クオリッチとスパイダーの関係は、父性の“影”の側面(暴力・支配・罪)だ。『WoW』においてスパイダーは、支配的で暴力的な父を赦してしまう、子供の危うさを感じさせていた(その時、筆者は「今後、彼がアナキンのようになっていく、『スター・ウォーズ』シリーズ風の展開になったら嫌だな」と懸念していたが( https://cinemore.jp/jp/erudition/2775/article_2777_p5.html )、幸いそうはならなかった)。
『FaA』では(予告編で発表されているように)、スパイダーは“ある出来事”をきっかけとして、パンドラの大気中でもマスクなしで呼吸できるようになった。このことは、スカイピープル(地球人)が彼の身体の秘密を解き明かせば、容易にパンドラが制圧できることを意味する。そのためクオリッチは、親子の愛情を利用してスパイダーを奪い、彼を研究材料にしようとする。
このことは、スパイダーを養子として育ててきた、ジェイクとネイティリ(ゾーイ・サルダナ)も気付いており、彼の扱いを巡って激しい葛藤に苛まれる。この場面は、本作のもっとも感情が揺さぶられる場面の一つだ。おそらく多くの観客は、パフォーマンス・キャプチャーによるフルCGキャラクターであることを忘れて、感情移入していることだろう。