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『ポーラX』美しい傷跡、強い傷跡、愛されたという傷跡

(C) ARENA FILMS / POLA PRODUCTION / THÉO FILMS / FRANCE 2 CINÉMA / PANDORA FILMPRODUKTION / EURO SPACE / VEGA FILM

『ポーラX』美しい傷跡、強い傷跡、愛されたという傷跡

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すべてはカテリーナ・ゴルベワから始まった



 「この世の箍(たが)が外れた。何の悪意か、それを直す役目に生まれるとは」というウィリアム・シェイクスピア「ハムレット」の言葉に導かれ、空襲が始まる(第2次世界大戦時のドイツ軍によるポーランド侵攻のアーカイブ映像)。墓地への空爆。イザベルが言うように、戦争は大人や子供を殺すだけでは飽き足らず、死者をも殺そうとする。死者とは歴史であり、文化であり、記憶である。爆撃音の残響の中、キャストのクレジットが流れる。そしてウソのような光に溢れた屋敷の庭園へとシーンは移り変わる。


 スプリンクラーによる、庭園の芝生への散水。お城のような屋敷。クレーン撮影によるカメラが、屋敷の3階の窓へと向かっていく。閉ざされた窓の隙間へカメラはズームしていく。ブロンドヘアの女性がベッドに寝ている。しかし、うつ伏せで寝ている彼女の顔は認識できない。このショットは『汚れた血』のジュリエット・ビノシュを捉えたショットを完全に反復させている。また同時に、カトリーヌ・ドヌーヴという伝説的な俳優をこの映画に迎え入れることへのリスペクトでもある。レオス・カラックスがこよなく愛するジャック・ドゥミの映画へのオマージュだ。庭園という広場から屋敷の窓へ向かっていくクレーン撮影は、『ロシュフォールの恋人』(67)におけるカトリーヌ・ドヌーヴの登場シーンと一致している。レオス・カラックスと同じく、ジャック・ドゥミもまた、“映画を作るのと同時に映画を発見した”作家といえる。顔の見えないブロンドヘアの女性を捉えるショットは、あたかもカメラ自身がその瞼=レンズに彼女を焼き付けようとするがごとく、動きのスピードを鈍く落としていく。このときカメラは生き物になる。ミステリアスな女性を覗き見る瞳、まばたきとなる。カメラが瞼を閉じた次の瞬間、『ポーラX』という意味深なタイトルクレジットが現れる。



『ポーラX』4Kレストア版 (C) ARENA FILMS / POLA PRODUCTION / THÉO FILMS / FRANCE 2 CINÉMA / PANDORA FILMPRODUKTION / EURO SPACE / VEGA FILM


 すべての始まりはカテリーナ・ゴルベワだった。レオス・カラックスは1992年のベルリン国際映画祭でカテリーナ・ゴルベワのクローズアップを発見する。リトアニアのシャルナス・バルタスによる極めて美しい映画『Trys Dienos(三日間)』(92)。屋根の上を野良猫のように歩くヒロイン。カテリーナ・ゴルベワの神秘的なクローズアップの破壊力は、レオス・カラックスだけでなく、クレール・ドゥニを魅了する。まずはクレール・ドゥニが『パリ、18区、夜。』(94)で、カテリーナ・ゴルベワをフランスに招く。パリに迷い込んだ異邦人。ヒロインはダイガ・バルタスと名乗っている。魔女的ではないキュートな表情のカテリーナ・ゴルベワを見られるという意味でも貴重な傑作であり、レオス・カラックスは、この作品を「美しい映画だ」と絶賛している(シャルナス・バルタスも一瞬だけ映り込んでいる)。クレール・ドゥニは『ポーラX』への重要な橋渡し役となる。『ポーラX』の撮影中、カテリーナ・ゴルベワが落ち込んでいるときも、彼女を励まし続けていた。


 レオス・カラックスは『ポンヌフの恋人』から『ポーラX』までの間、リトアニアやウクライナ等、東欧の世界を旅している。紛争中の包囲網の中、開催された第1回サラエヴォ映画祭に参加している。ここでの戦争体験がなければ『ポーラX』は生まれなかったと語っている。イザベル=カテリーナ・ゴルベワは、この映画のブラックホールであり、戦争の傷を心に負っている。イザベルは爆撃された墓地から甦った魔女のように、ピエールの前に現れる(ピエールに発見されたときのイザベルの奇妙な転び方が秀逸だ)。彼女はピエールに秘密を告げる。自分はあなたの姉だと。動物的であり、植物的でもあるイザベル。カテリーナ・ゴルベワには被写体としての美しさだけでなく、独特な声の魅力がある。ピエールの乗っていたバイクのヘッドライトが壊れるショットを起点に、この映画は深い闇の中に入っていく。写真のポジとネガを反転させたような、イザベルとピエールだけの森のシーンが始まる。トランス状態のイザベルの独白は、呪文を唱えるような声が、彼女の言葉以上にいつまでも耳に残り続ける。


 ピエールの父親は高名な外交官だった。ピエールは母親のマリーに尋ねる。東欧から帰国したとき、父は変わっていたか?「彼は変われなかった」とマリーは答える。しかしピエールは、イザベルとの出会いによって自分を変えようとしている。若者の間でカリスマ的な人気を誇る謎の小説家であり、“アラジン”という匿名を名乗るピエールは、新作小説を書いている。ある日ピエールは、“軽率な狂気”という言葉を、パソコン上で“無謀な狂気”という言葉に類義語変換する。イザベルとの出会いによって始まる自己破壊的なピエールの行動には、まさしく軽率さと無謀さが共存している。レオス・カラックスは、ピエールの軽率さと無謀さに彼岸への旅路を見出す。「ピエールと私が一致するのではなく、ピエールと共にあろうと思った」。




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