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『ザ・ブライド!』天才女性作家の呪詛が生み出す異形のファンタジー
凄まじい怒りの放出である。ユーモアと遊び心に満ちているが、映画も監督も、“フランケンシュタインの花嫁”として生み落とされる主人公“ザ・ブライド”も、怒っていることを一切隠そうとしない。その怒りを応援、いや、可能であるなら加担すらしたいと望む者としては、全米興行の不振は「怒りの矛先が向けられた」と過剰反応した人たちがこぞって不評を流したせいではないかとすら邪推してしまう。
監督はマギー・ギレンホール。『ダークナイト』のレイチェル・ドーズ役などで俳優として長年にわたり活躍し、2021年の『ロスト・ドーター』で素晴らしい監督デビューを飾った才人だ。そして2本目の監督作『ザ・ブライド!』の製作費が8,000万ドル(約130億円)というのだから、彼女にかけられた期待の途方もない大きさが想像できるというものだ。
マギー・ギレンホールは、このプレッシャーにいささかも萎縮することなく、1935年のゴシックホラー映画『フランケンシュタインの花嫁』を自由奔放にアレンジし、多層的で複雑なストラクチャーを持つ“21世紀のアメリカンニューシネマ”に仕立て上げた。ただし、フェミニズム映画の文脈における同じワーナーが製作した『バービー』(23)の大成功がなければ、これほどのやりたい放題は許されなかったかもしれない。

『ザ・ブライド!』©2026 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
『ザ・ブライド!』あらすじ
1930年代シカゴ。永い孤独に耐えかねたフランケンシュタインから伴侶を創ってほしいと頼まれたユーフォロニウス博士は、墓から掘り起こした女性の遺体を彼の花嫁《ブライド》としてよみがえらせる。とある事件をきっかけに二人は追われる身となるが、不条理で腐った世界への怒りをぶち撒けるブライドの姿は、やがて抑圧された人々を奮い立たせ、社会全体を揺るがしていく。果たして、愛と破壊の限りを尽くす逃避行《ハネムーン》の先に二人を待ち受ける運命とは――。
Index
天才女性作家の呪詛が生み出す異形のファンタジー
映画は、小説「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリー(ジェシー・バックリー)の独白で始まる。これは『フランケンシュタインの花嫁』で彼女が語り部として登場する構成に倣っているのだが、『ザ・ブライド!』での役割はもはや語り部から完全にはみ出している。まるでうわ言のように、呪いのように、そして詩のようにハイテンションで言葉を放つ異様な姿に、初っ端からいったいなにごとかと戸惑う人もいるだろう。この映画における彼女は、積極的に物語やザ・ブライドに介入する登場人物でもあり、この奇妙なファンタジーとわれわれが生きる現実世界を繋ぐ触媒でもある。
ここでざっくりとだが、メアリー・シェリーについて説明しておきたい。
彼女が1818年に出版された小説「フランケンシュタイン」の作者であることはすでに述べた。フェミニズムの先駆者メアリ・ウルストンクラフトを母に、元祖アナキストとして知られるウィリアム・ゴドウィンを父に持ち、史上初のSF小説とも言われる「フランケンシュタイン」をわずか19歳で書き上げた。いわば伝説の夫婦のもとに生まれた筋金入りの天才児だったわけだ。
しかし小説「フランケンシュタイン」が最初に出版されたとき、彼女の名前は印刷されてもいなかった。当時、女性作家への扱いは低く、作者名を伏せて匿名で出版されたのだ。さらに夫で詩人のパーシー・シェリーが序文を書いたことで「真の作者はパーシー」と噂されることになった。夫のパーシーが水難事故で夭折してからは、遺された膨大な詩や書簡の編纂に尽力し、むしろそちらの功績が評価されていた時代もあった。
作家で大学教授のシャーロット・ゴードンは、著書「メアリ・シェリー 『フランケンシュタイン』から〈共感の共同体〉へ」(白水社刊)で、メアリーが長年にわたり「保守的な糟糠の妻」という誤解に晒され、「フランケンシュタイン」以外に著した小説の価値や、女性や弱者のために抗った政治的な側面がいかに見過ごされてきたのかを検証している。
また、エル・ファニングが主演した伝記映画『メアリーの総て』(17)では、圧倒的な男性優位な社会の中で、夫の名声の影から抜け出し、ひとりの作家としての評価を勝ち取ろうとする姿が描かれていた。ちなみにメアリー・シェリーと母ウルストンクラフトの数奇な人生と「フランケンシュタイン」の物語は、映画『哀れなるものたち』(23)とその原作小説にも大きな影響を与えている。
つまり『ザ・ブライド!』の冒頭でメアリー・シェリーが怒りを撒き散らしているのは、彼女の実人生と著作が誤解され、過小評価されたことに対する異議申し立てであり、同時に搾取され、侮られ、活躍の機会を奪われ、上げるべき声を封殺されてきた女性たちの不満と鬱屈を代弁しているのである。