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『ストーカー』内なる「ゾーン」、私たちを映すアルゴリズムという鏡

『ストーカー』内なる「ゾーン」、私たちを映すアルゴリズムという鏡

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無垢な少女が発動させる“信じる力”



 ストーカーは、自分への見返りなど求めない。ただ「誰かを幸せにしたい」という純粋な奉仕の心だけで、何度も命を懸けて禁忌の領域へと案内役を買って出る。タルコフスキー監督は、彼についてこう語っている。


 「彼は非常に弱そうに見えますが、他の人々に奉仕したいという願望において、人々を幸せにしたいという意図において、最も強い存在であることが明らかになります」(*2)


 腕力や知力で目の前の困難をねじ伏せるのではなく、無私の愛と信仰をどこまでも貫くこと。それこそが、監督の提示する真の強さの定義なのだ。そんな彼に導かれ、作家と教授はついに目的の「部屋」の入り口へと到達する。しかし、ハリウッド的な冒険譚であれば歓喜とともに宝物をゲットするその場所で、彼らは激しく葛藤し、立ちすくんでしまう。


 彼らの足を止めたのは、かつてストーカーの師であった“ヤマアラシ”の悲劇だった。ヤマアラシは死んだ弟を蘇らせるために部屋に入ったが、実際に叶えられたのは、彼の潜在意識に潜んでいた「金持ちになりたい」という卑劣な欲望だった。自分の真実の姿を残酷なまでに突きつけられた彼は、その醜さに耐えきれず、絶望のあまり自ら命を絶ってしまった。


 この部屋は、本人が口にした願いではなく、心の奥底に眠る欲望を容赦なく引き出してしまう。作家と教授は、自らの内面にどんな醜い本音が潜んでいるかを直視する恐怖に勝てなかった。自分自身を信じ切る精神的な勇気を欠いた彼らは、結局入室を拒否。タルコフスキーの言葉を借りれば、彼らは現代社会を覆う「不信、シニシズム、空虚」(*3)の犠牲者だったのである。



『ストーカー』


 誰一人救うことができず、自らの純粋な信仰さえも理解されなかったストーカーは、セピア色の現実へと帰還し、「もう誰もあそこへ連れて行けない」と妻の胸で泣き崩れる。だがタルコフスキーは、意外なかたちで宝物=聖杯を提示する。それは、映画のラストを飾る幼い娘だ。


 生まれつき歩くことができず、妻からは「呪われた子供」と呼ばれる彼女は、あまりにも不条理な運命の犠牲者。しかし、彼女が食卓に座り、詩を心の中で唱えながらじっとコップを見つめると、重いガラスのコップがテーブルの上を音を立てて滑り出すという奇跡が起こる。まさかのテレキネシス発動!


 もちろんこの超能力は、『キャリー』(76)のような憎悪で周囲を破壊し尽くす暴走でもなければ、『X-MEN』(00)のように敵をねじ伏せるパワーでもない。魔法の部屋を探し求めて右往左往した知識人たちが辿り着けなかった「信じる力」が、現実を物理的に変容させる瞬間。それは、『風の谷のナウシカ』(84)や『天気の子』(19)のような、「無垢な少女が、実は世界を動かす力を持っている」系の物語とも接続する。


 この奇跡は、ストーカーが信じ続けた「奉仕と愛による強さ」が、次世代へと受け継がれていることの証なのだ。





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