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『ストーカー』内なる「ゾーン」、私たちを映すアルゴリズムという鏡

『ストーカー』内なる「ゾーン」、私たちを映すアルゴリズムという鏡

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現代に蘇る、掌の中のゾーン



 「ゾーンは私の映画のあらゆるものと同じように、なにも象徴していない。ゾーンはゾーンだ」(*4)


 アンドレイ・タルコフスキー監督はそう語気を強め、自作が安易な象徴主義で語られることを激しく拒絶している。にもかかわらず、『ストーカー』は公開以来、数え切れないほどの考察と解釈を生み出してきた。


 例えば、「ソ連の警察国家や強制収容所の寓話」という政治的な解釈。映画の冒頭、荒廃した風景の中で武装警察の銃撃をかいくぐり、厳重な鉄条網を越えてゾーンへと密入国する生々しい描写は、確かに全体主義国家における不自由な生活や、抑圧の隠喩とも捉えられる。


 神学的な解釈もある。監督がSF的要素を排除したことで、ゾーンは迷える知識人たちの秘められた思考や欲望を自覚させる、神聖で侵しがたい領域へと変容した。見返りを求めず人々を導くストーカーは、キリスト教的精神を体現した人物として描かれる。そう考えるとこの映画は、現代人の魂の治癒と救済のプロセスを描いた、宗教的な巡礼劇といえる。


 予言的な環境論としての側面も見逃せない。劇中では教授が持ち込もうとした爆弾の出所として「第4貯蔵庫」が語られるが、映画完成のわずか数年後、チェルノブイリ原子力発電所の第4エネルギーブロックが爆発し、現実に立入禁止の30キロ圏内ゾーンが出現した。有害な化学物質が垂れ流されるタリン近郊の川辺で撮影が行われたことで、後年タルコフスキーや作家役のアナトリー・ソロニーツィンがガンで命を落としたという悲劇的な事実も、不気味な予言性を一層際立たせている。



『ストーカー』(c)Photofest / Getty Images


 政治批判、宗教的巡礼、あるいは環境的厄災の予言。多様な解釈を生み出し続けている本作だが、2026年の視点で観てみると、ゾーンは別の解釈もできそうだ(タルコフスキーに怒られそうだけど)。現代のデジタル社会において、アルゴリズムはユーザーの潜在的な嗜好や深層の欲望を先回りして提示し、心地よいエコーチェンバーの中へ容易に閉じ込めてしまう。


 そう考えると、私たちは今、かつて作家や教授が直視することを恐れた「自分でも気づいていない醜い本音」を、掌の中のデバイス(=ゾーン)を通じて日常的に覗き込んでいると言える。『アナイアレイション -全滅領域-』(18)や『アド・アストラ』(19)といった現代SFが、エイリアンの侵略ではなく自己変容をテーマに据えるのは、『ストーカー』が切り拓いた内面への旅路を正当に継承した結果なのだろう。自らのエゴを捨てて他者を信じ抜くというストーカーの問いかけは、当時よりもはるかに重みを増している。


 ある場所へ行き、何かを得ようとする巡礼の構造は、私たちが日々直面している「生きること」そのもののメタファーだ。利己的な欲望に飲み込まれず、不条理な世界を他者への愛と共に歩み続けること。一貫して人間の精神的な高潔さを問い続けたタルコフスキーの『ストーカー』というフィルムには、特定の時代やイデオロギーを超えたメッセージが刻まれている。


(*1)(*2)http://nostalghia.com/TheTopics/Tarkovsky_Guerra-1979.html

(*3)(*4)「映像のポエジア ――刻印された時間」(ちくま学芸文庫)



文:竹島ルイ

映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。



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作品情報を見る



『ストーカー』

「タルコフスキー特集2026/超域の映像」

4月10日(金)まで渋谷ユーロスペース

4月10日(金)~16日(水)アップリンク京都 にて開催

配給:パンドラ

詳しくは http://www.pan-dora.co.jp/?cat=114

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