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『ストーカー』内なる「ゾーン」、私たちを映すアルゴリズムという鏡

『ストーカー』内なる「ゾーン」、私たちを映すアルゴリズムという鏡

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荒廃した現代の聖杯探索



 ある日、地球のどこかに「ゾーン」と呼ばれる謎の領域が出現した。軍の厳重な警戒下に置かれたその場所の最深部には、足を踏み入れた者の願いを叶える「部屋」が存在するという。映画『ストーカー』(79)は、そんな都市伝説めいた噂を信じて、インスピレーションを渇望する“作家”、論理の果てに真実を求める“教授”、そして案内人“ストーカー”の3人が、禁忌の場所へと向かう物語である。


 ストルガツキー兄弟によるSF小説「ストーカー(路傍のピクニック)」を原作としながらも、アンドレイ・タルコフスキー監督はSF的なガジェットをいっさいがっさい削ぎ落としてしまった。この映画には、銀色の円盤も、緑色のクリーチャーも、未知のテクノロジーも登場しない。画面を支配するのは、静かに朽ちゆく廃墟、生い茂る雑草、そして滴る水。いつものタルコフスキー全開な風景だ。彼は物理的な外宇宙ではなく、逃れようのない人間の内面世界を映し出すための舞台として、このゾーンを再構築した。


 もっとも、そこはお馴染みのタルコフスキー節の独壇場でもある。男たちがトロッコに乗って無言で移動するだけの時間が数分間続いたり、水たまりの上をカメラが這うようにゆっくりと舐め回したり、気の遠くなるような長回しによって延々と似たような光景がひたすら流れ続けるため、観る者の忍耐が容赦なく試されるのもお約束だ。

 


『ストーカー』(c)Photofest / Getty Images


 ある特別な場所を目指し、そこにある至宝を手に入れることで世界や己を癒やそうとする物語は、中世ヨーロッパで語り継がれてきた聖杯探索の構造とよく似ている。聖杯を守る漁夫王(フィッシャー・キング)が癒えない傷を負い、その苦痛が大地へと伝染。王国は瞬く間に生命力を失い、その周囲は草木一本生えない不毛の土地=ウェイストランドとなってしまった。


 この呪われた地を救済し、真理や永遠の命を取り戻すためには、選ばれし騎士たちが数々の試練を乗り越え、聖杯を手にしなければならない。『ストーカー』で描かれる「ゾーン」とは、まさに現代に蘇ったウェイストランド。その最深部に鎮座する「部屋」は、聖杯が隠された聖域としての役割を担っている。


 「遠い場所へ旅をし、宝を手に入れる」という構造は、ハリウッド映画の超鉄板テンプレートでもある。『オズの魔法使』(39)のドロシーは勇気と仲間との絆でエメラルド・シティに向かい、『グーニーズ』(85)の少年たちは罠を潜り抜けて海賊の財宝を目指した。『スタンド・バイ・ミー』(86)では、死体を探す旅路そのものが「少年期との決別」という精神的な宝物になっている。スティーヴン・スピルバーグ監督の『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)に至っては、聖杯探索まんまのお話。困難を突き抜けた先にはっきりとした報酬が約束されているのが、強いヒーローが活躍するハリウッド流の冒険譚といえるだろう。


 対してタルコフスキーは、「私はいわゆる強い人間の強さを信じていない」(*1)と公言し、ハリウッド的な英雄像を真っ向から拒絶する。彼が選んだ主人公は、社会からは弱者や狂人と蔑まれる、聖愚者としてのストーカーだった。





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