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『トミー』ザ・フーと監督ケン・ラッセル、時代の転換点で出会った運命

『トミー』ザ・フーと監督ケン・ラッセル、時代の転換点で出会った運命

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勢揃いした豪華なキャスト



 今、振り返ってみると、豪華なキャストがそろっている(ただ、当時の記事を見ると「映画界で興行価値のある俳優たちは出ていなかった」とも記述されている)。トミー役はザ・フーのロジャー・ダルトリー、母親役はアン・マーグレットが演じ、エリック・クラプトン(伝道師)、エルトン・ジョン(ピンボールの魔術師)、ティナ・ターナー(アシッド・クイーン)、ゲスト出演のジャック・ニコルソン(医師役)などビッグネームが並ぶ。


 アン・マーグレットはエルヴィス・プレスリーの主演作『ラスベガス万才』(63)などで歌や踊りを披露し、ラスベガスの舞台にも立っていた女優。ピート自身はクレオ・レーンやジョージア・ブラウンのようにジャズ系の歌手の起用を母親役に望んでいたが、ちょっとお下品な色気が魅力のアンが、監督のたっての希望で起用された。




 脇役に関しても、オリバー・リード(母の恋人)、やロバート・パウエル(父親)など、ラッセル一家の俳優を使い、医師役は『愛の狩人』(71)でマーグレットと共演していたジャック・ニコルソンが演じる(ふたりが踊る場面はこの映画のパロディになっている)。ピートはきちんと歌えるシンガーの起用を望んだが、監督は歌ではなく演技力で選んだのだ(ピートは国際市場を意識したこのキャスティングに不満を感じ、彼らのアルバム「四重人格」の映画化『さらば青春の光』(78)ではあえて無名な俳優だけを起用してリアルな作風をめざした)。

 

 また、ピンボールの魔術師に関してはスティーヴィー・ワンダーが第一候補だったが、これに関してはケンが反対してエルトン・ジョンの起用となった。


 いざ撮影が始まってみると、現場では起用したミュージシャンたちの素行の悪さが監督の頭痛のタネとなった。ピートのリクエストで出演したエリック・クラプトンは撮影現場から消えて、自分の屋敷に戻り、なかなか現れなかった(当時の彼は重度のドラッグ中毒者となり、家で隠遁生活を送っていたようだ)。また、78年に亡くなるザ・フーのメンバー、キース・ムーンのハチャメチャな私生活ぶりにも監督は困惑し、本当にアーニー叔父さん役が彼に演じられるか心配していたようだ。




 一方、トミー役で俳優デビューを飾ったロジャー・ダルトリーは監督を心から信頼していたそうで、割れたガラスの上を歩くといった危険な場面でも彼の指示に素直に従ったようだ。ラッセルは「ロジャーはすごく自然なパフォーマーで、映画的なセンスがある」と称賛する。(そんな彼が気にいり、次の『リストマニア』(75)でもロジャーを主役の作曲家、リスト役に起用している)。


 また、マーグレットはシャンパンをテレビにぶつける場面では負傷して病院にかつぎこまれ、27針を縫ったが、それでも「この映画の経験のすべてが素晴らしかった」と振り返っている。


 波乱含みの撮影が行われたようだが、今、見直すとこれだけのキャストを揃え、見事に1本の映画にまとめ上げた監督の手腕に拍手を送りたくなる。


 完成した映画は賛否両論、さまざまな意見が飛び交った。ただ、ゴールデン・グローブ賞(ミュージカル・コメディ部門)の作品賞候補となり、アン・マーグレットはゴールデン・グローブ賞の主演女優賞受賞(ミュージカル・コメディ部門)。オスカー候補にも上がっている。ロジャー・ダルトリーもゴールデン・グローブ賞の新人男優賞候補となる。また、映画のために4つの新曲(「シャンペン」「TVスタジオ」「母と息子」)を書いたピート・タウンゼントはアカデミー賞の編曲・歌曲賞候補に上がっている。英国では14週間(3か月半)に渡って興行成績のナンバーワンとなり、トップ5内に8か月も留まる。興行的には大きな成功を収めた(当時、日本の興行は今ひとつだったが)。



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