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『アメリカン・グラフィティ』若きジョージ・ルーカスを襲った苦難の連続とは

(C) 1973 Universal Studios. All Rights Reserved.

『アメリカン・グラフィティ』若きジョージ・ルーカスを襲った苦難の連続とは

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看板をよじ登る酔っ払った俳優たち



 いざ撮影が始まると、新たな問題が持ち上がる。ルーカスがロケ地に選んだ故郷のモデストは、彼が住んでいた頃とはまるで違う町に変貌していたため、仕方なく、同じカリフォルニア州のサンラファエルに変更する。ところが、そこもたったの1日で追い出されてしまう。撮影クルーの1人がマリファナの栽培で逮捕され、撮影スケジュールに遅れが生じた上に、地元企業に混乱をもたらしたという理由で、市議会が撮影隊の退去を命じたからだ。流浪の民となったクルーは、最終的にサンラファエルから車で約30キロの町、ペタルマに辿り着き、1972年6月28日、無事に撮影は再開される。


 ところが、さらなる問題が発生する。今度の発生源はキャストだ。まず、4人のメインキャストの1人で、ジョン・ミルナーを演じるポール・ル・マットが、迂闊にも口にしたクルミによるアレルギーで病院に搬送される。



『アメリカン・グラフィティ』(C) 1973 Universal Studios. All Rights Reserved.


 ル・マット、ハリソン・フォード(当時の職業は大工だった)、ボー・ホプキンスの3人は、撮影が終わるとほぼ毎晩酔っぱらい、酒の勢いで宿泊場所であるホリデー・インの看板によじ登る。名前は伏せられているが、ある俳優がモーテルに火を放つ。ル・マットが、カート・ヘンダーソンを演じるリチャード・ドレイファスをプールに投げ込み、ドレイファスは額を切る。(顔のクローズアップを撮る前日に)、等々、色々あったが、撮影は約4週間でどうにか終了した。



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