1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 黒澤明監督版『東京オリンピック』はなぜ実現しなかったのか 前編
黒澤明監督版『東京オリンピック』はなぜ実現しなかったのか 前編

(c)Photofest / Getty Images

黒澤明監督版『東京オリンピック』はなぜ実現しなかったのか 前編

PAGES


黒澤版『東京オリンピック』の全貌



 ローマ・オリンピック視察中から黒澤は、映画『東京オリンピック』に向けての構想を周囲に語っていた。例えば聖火リレーについては、「アテネから運んだ聖火の上陸地を広島にする。一夜を広島で送り、ここで平和祈願の式典をやって国内リレーを開始する。これこそ平和の象徴であるオリンピックの意義にかなうものだ」(『夕刊 讀賣新聞』63年11月24日)と、『生きものの記録』で原水爆の恐怖を描いた監督らしく、広島とオリンピックを結びつけた構想を披露している。


 助手についていた松江陽一は、開会式にまつわるこんなアイデアも耳にしている。


「ギリシアのオリンポスの山で採火して、その火がジェット機で全世界に運ばれ、それが東京で点火された瞬間に、世界各国で一斉に燃えあがるということを考えていた。同時にスタジアムの電光掲示板に『ノー・モア・ヒロシマ』と出る。そして競技場の気球に仕掛けられたスピーカーから、第9交響曲の『喜びの歌』が流れる」(『黒沢明を求めて』西村雄一郎著/キネマ旬報社)


 また開会式終了後に各国の選手が退場する際の動きも「順々に帰っていくんじゃなくて、出入口は一つだけじゃないわけだから、最後は渦みたいにワーッと回って、いくつかの出口からサーッと引いていくようにしたい」(『異説・黒澤明』文春文庫)と語っていたという。


 競技については、陸上競技100mをゴール前方から望遠レンズで真正面から撮影しようとしていた。曰く「十秒という短い時間に爆発する人間のエネルギーを正面からクローズアップでとらえたい。そのようなカメラ・ワークのできるカメラマンが日本にいなければ、外国から連れてこよう」(『夕刊 讀賣新聞』63年2月6日)。


 閉会式についても従来とは異なる演出案を披露している。組織委員会渉外部長の岩田幸彰の記憶によれば、「各国選手が同じ出口から退場するのは芸がない。少しずつ分散して観客席に上がり、通路を通って上から出れば、ドラマチックに盛り上がるのではないか」(『朝日新聞 夕刊』84年9月22日)と語っていたという。


 こうした断片的な黒澤の構想を集めてみると、ある疑問が浮かんでくるはずだ。競技の撮影は記録映画を統括する黒澤が負うべきものだが、開会式や閉会式は別の演出家がいるにも関わらず、黒澤の構想は、式典の総合演出に介入する内容ではないのか。実際、『産経新聞』(96年9月2日)によると、黒澤は「ノーモア・ヒロシマの案については、いろいろ言う人がいるかもしれないね」と松江に語っていたという。今では黒澤が開会式も演出予定だったという話まで独り歩きしているが、当時の報道からはそのような話は出てこない。


 ただし、事務総長の田畑と黒澤が打ち合わせで何度も顔を合わせるうちにすっかり意気投合して酒を飲み交わす仲となり、前述の岩田渉外部長から見ても「肝胆相照らす仲になっておられた」(『朝日新聞 夕刊』)点に注目すると、式典演出予定だった伊藤道郎が1961年に急逝するという突発事故が起きていたことも考え併せれば、田畑の胸三寸によっては黒澤がその位置に付いていた可能性がないとは言えない。


 実際、〈陸上競技100mをゴール前方から望遠レンズで真正面から撮影したい〉という黒澤が、ゴール地点の近くにキャメラを設置するための穴を掘ってくれと要望すると、田畑はそれが実現可能かどうか検討に動くほど黒澤の要望を極力聞き入れようとしていた。ただし、黒澤の言うことを何でも受け入れたわけではない。聖火を原爆投下地点でキャッチして一夜灯すという奇抜な黒澤のアイデアに田畑は、「確かに名案だと思ったものの、この時既にアジア諸国に聖火が立ち寄ることを約束したあとだったので、『せっかくのアイディアだが、聖火リレーについての確約はできない』」(『評伝 田畑政治』)と答えたという。だが、こうした可否を即答できる田畑が黒澤にとって頼りがいのある存在だったであろうことは想像に難くない。


 ローマから視察を終えて帰国した黒澤は、組織委員会に数百頁に及ぶ報告書を提出した後、必要な機材やスタッフの人数を概算し、予算編成に取り掛かった。実際の作業にあたったのは、東宝から黒澤プロに出向していた重役の根津博である。


 カラーフィルム38万メートル、カメラ70台、カメラマン120人、スタッフ総数1500人、製作費は5億2千万円ーー。だが、弾き出されたこの数字は、やがて大きな波紋を呼ぶことになる。



中編はこちらから


後編はこちらから


【参考文献】

『キネマ旬報』『シナリオ』『映画撮影』『異説・黒澤明』『黒澤明集成』『黒澤明を語る人々』『今井正全仕事―スクリーンのある人生』『今井正の映画人生』『黒澤映画の現在 ドキュメント乱』『黒澤明 「乱」の世界』『黒澤伝説 その夢と遺書』『黒澤明と「赤ひげ」ドキュメント・人間愛の集大成』『キネマ旬報別冊 黒沢明・三船敏郎 二人の日本人』『世界の映画作家3 黒沢明』『評伝 黒澤明』『蝦蟇の油 自伝のようなもの』『完本 市川崑の映画たち』『東京人』『別冊キネマ旬報 東京オリンピック』『黒澤明を求めて』『巨人と少年 黒澤明の女性たち』『私の藝界遍歴』『全集 黒澤明』『大系 黒澤明』『わたしの渡世日記』『にんげん住所録』『評伝 田畑政治 オリンピックに生涯をささげた男』『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』『朝日新聞』『読売新聞』『毎日新聞』『東京新聞』『報知新聞』『都新聞』『産経新聞』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊読売』『文藝春秋』『文芸朝日』『潮』『文芸』『中央公論』『エラリイクイーンズミステリマガジン』『高校時代』『東京オリンピック オリンピック東京大会組織委員会会報』『東京都オリンピック時報』『総天然色長篇記録映画「東京オリンピック」配給白書』



文: モルモット吉田

1978年生。映画評論家。別名義に吉田伊知郎。『映画秘宝』『キネマ旬報』『映画芸術』『シナリオ』等に執筆。著書に『映画評論・入門!』(洋泉社)、共著に『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)ほか



(c)Photofest / Getty Images

PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 黒澤明監督版『東京オリンピック』はなぜ実現しなかったのか 前編