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黒澤明監督版『東京オリンピック』はなぜ実現しなかったのか 後編

(c)Photofest / Getty Images

黒澤明監督版『東京オリンピック』はなぜ実現しなかったのか 後編

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幻の『素晴らしい夢』



 1990年、高峰秀子は公開されたばかりの黒澤の新作『』(90)を映画館で観ている。そして「『夢』には、黒澤明のすべてが入っていた。(略)私はふっと、『クロさんは映画で遺言を作ったな』と思った。なぜ、そんなことを思ったのかは私にも分からないけれど、なぜかそう感じたのだからしかたがない」(『にんげん住所録』)と記したが、この年80歳を迎えた黒澤は高峰の指摘どおり、まさに『夢』で遺言ともいうべき物語を描こうとしていた。それは幻の『東京オリンピック』のリメイクを思わせる物語だった。


 当初は『こんな夢をみた』と題されていた『夢』の第一稿が書かれたのが1986年。11本からなるオムニバス映画だったが、1988年に印刷された第二準備稿では1話が削られて全10話となり、撮影に入る段階ではさらに2話が減らされ、全8話となった。その未映画化エピソードの1本『素晴らしい夢』は映画の最後を飾る物語として用意されていた。


 主人公の“私”が、あるホテルの一室で朝食を食べているシーンから始まる。すると、すさまじい砲声や飛行機の爆音が響くので窓の外を見ると、爆撃機の編隊が空を暗くさせるほど大量に飛んでいる。私は戦争が起きたのかと訝しがる。しかし、テレビを点けるとアナウンサーはこう叫んでいた。「遂に、平和が来ました。待望の平和が来たのです」。世界各国の首脳が一堂に会して世界平和条約が全会一致で結ばれ、兵器は全て廃棄されることとなり、特定の場所へ集めているという。核兵器も宇宙の死滅した惑星に捨てられるという。狂喜した私が外へ出ると、円形の広場から放射線状に八方へ伸びた道から、人々が広場へ行進して集まってくる。そこには世界各国の人々がおり、誰もが笑顔である。


 ここまで書けばこの『素晴らしい夢』が、黒澤版『東京オリンピック』で構想された開会式と閉会式の演出に酷似していることに気づくだろう。脚本のト書きにはさらに「広場の上空に飛行船が大きな姿を現わす。そのゴンドラから沢山手が出て花を投げる。その花の雨を見上げ、人々は歓声を上げ、ますます活気づき、口々に何か叫んで、足を踏み鳴らし、手を打ち鳴らす。その行進は、今や、踊り狂う渦となり、広場は歓喜に酔った人々のエネルギーでふくれ上り沸き返る」とある。


 この作品が『夢』から削除されたのは、「特殊撮影などの費用がかかりすぎる」(『大系 黒澤明(別巻)』)という理由があったようだが、アナウンサー役には檀ふみがキャスティングされ、アメリカで300人のエキストラを集めた撮影が検討されていたという。


 黒澤が夢見たオリンピックは『素晴らしい夢』でも実現することはなかったが、この脚本を読むだけでも、その原点となる幻の黒澤版『東京オリンピック』には、世界の人々が国も民族も超えて平和を享受する歓びにあふれた夢のような瞬間が映し出されていたに違いないと思わせる。市川崑は『東京オリンピック』の最後に「この創られた平和を 夢で終わらせていいのであろうか」と記したが、黒澤の描こうとしたオリンピックもまた、黒澤の演出力で生み出された〈創られた平和〉でしかない。だが、『天国と地獄』の巧妙な犯罪トリックが模倣犯を生んだように、黒澤の〈素晴らしい夢〉を目にした観客が、それを模倣したとしたら――そんな夢のようなことが起きる可能性を秘めているのが映画であり、それこそが黒澤の信じていた映画の力なのではないだろうか。


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中編はこちらから


【参考文献】

『キネマ旬報』『シナリオ』『映画撮影』『異説・黒澤明』『黒澤明集成』『黒澤明を語る人々』『今井正全仕事―スクリーンのある人生』『今井正の映画人生』『黒澤映画の現在 ドキュメント乱』『黒澤明 「乱」の世界』『黒澤伝説 その夢と遺書』『黒澤明と「赤ひげ」ドキュメント・人間愛の集大成』『キネマ旬報別冊 黒沢明・三船敏郎 二人の日本人』『世界の映画作家3 黒沢明』『評伝 黒澤明』『蝦蟇の油 自伝のようなもの』『完本 市川崑の映画たち』『東京人』『別冊キネマ旬報 東京オリンピック』『黒澤明を求めて』『巨人と少年 黒澤明の女性たち』『私の藝界遍歴』『全集 黒澤明』『大系 黒澤明』『わたしの渡世日記』『にんげん住所録』『評伝 田畑政治 オリンピックに生涯をささげた男』『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』『朝日新聞』『読売新聞』『毎日新聞』『東京新聞』『報知新聞』『都新聞』『産経新聞』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊読売』『文藝春秋』『文芸朝日』『潮』『文芸』『中央公論』『エラリイクイーンズミステリマガジン』『高校時代』『東京オリンピック オリンピック東京大会組織委員会会報』『東京都オリンピック時報』『総天然色長篇記録映画「東京オリンピック」配給白書』



文: モルモット吉田

1978年生。映画評論家。別名義に吉田伊知郎。『映画秘宝』『キネマ旬報』『映画芸術』『シナリオ』等に執筆。著書に『映画評論・入門!』(洋泉社)、共著に『映画監督、北野武。』(フィルムアート社)ほか



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