1981年、新宿の歌舞伎町に画期的なミニシアター、シネマスクエとうきゅうが誕生する。
この年、先にオープンしていた俳優座シネマテンやパルコ・スペース・パート3は常設の映画館ではなかったが、シネスク(俗称)は最初から映画館として設計された初の本格的なミニシアターである。
この劇場からは『薔薇の名前』(86)、『仕立て屋の恋』(89)といったヨーロッパ映画、『さらば愛しき大地』(82)、『海と毒薬』(86)などの邦画の大ヒットも出て、ミニシアターブームの発火点となった。しかし、オープンから約30年後の2014年、劇場が入っていたミラノビルの取り壊しが決まり、閉館を迎える。
オープニング作品はニコラス・ローグ監督の『ジェラシー』(80)で、その宣伝を担当したヘラルド・エースの元宣伝マン、寺尾次郎さんに13年に当時の話を聞いた。後に字幕家となって活躍されていた寺尾さんだが、取材から5年後の18年に他界された(享年62)。インタビューは生前の貴重な声となった(この取材は次回も登場する)。
※以下記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。
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初の商業的なミニシアターが新宿にオープン
東京の港区・新橋の第一京浜国道沿いに「新橋駅前ビル1号館」という9階建ての建物がある。高度成長期の1966年に建てられた古いビルで、下のフロアには飲食店があり、上にはオフィスが入っている。
このビルの3階にかつて日本ヘラルド映画という草分け的な洋画配給会社があって、2階には子会社のヘラルド・エースが入っていた。
ヘラルド(開拓者)の名前の通り、機動力のある社風で、特にヘラルド・エースは81年の「シネマスクエアとうきゅう」の設立にも貢献した。
ビルの2階にはヘラルドの宣伝部にも愛されたビーフン専門店「東」があり、この店を訪ねるたびに今はなくなった会社のことが頭をよぎる。あの頃、若い宣伝部のメンバーたちはおいしそうにビーフンを食べながら、ミニシアターの話で盛り上がっていた。
そんな風景が忘れられない私としては、ヘラルド・エースにいた人物に「シネマスクエアとうきゅう」の“はじまり”について語ってほしいと考えた。