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伝説の映画が復活!4K修復のマジックとは? 第33回東京国際映画祭「日本映画クラシックス」【CINEMORE ACADEMY Vol.10】

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伝説の映画が復活!4K修復のマジックとは? 第33回東京国際映画祭「日本映画クラシックス」【CINEMORE ACADEMY Vol.10】

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幻の天才監督、山中貞雄とは何者か?



山中貞雄は1909年(明治42年)に、当時、時代劇映画の本拠地だった京都で生まれた。高校の先輩だったマキノ雅弘は一歳年上、黒澤明は一歳下でほぼ同世代にあたる。19歳で脚本家デビュー、22歳の若さで監督デビューを果たし、批評家から「大傑作」と太鼓判を押されるなど早い時期からその天才っぷりを遺憾なく発揮した。


しかし、前述のように山中貞雄は28歳の若さで亡くなってしまった。日中戦争が始まって間もなく軍隊に召集され、中国各地を転戦し、野戦病院で戦病死したのである。短い遺書では、遺作となった『人情紙風船』について触れ、「山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。負け惜しみに非ず。」と書き残した。まだまだ映画を撮りたい、という気持ちの現れだったのだろう。


現在観ることができる『河内山宗俊』『丹下左膳餘話 百萬両の壺』『人情紙風船』がすべて4Kデジタル修復され、今年の東京国際映画祭でお披露目されることは既に述べた。今回の4K修復の意義は、これまで耳学問に頼らざるを得なかった山中貞雄の魅力を、ようやく、現代に生きるわれわれが堪能し、フラットな目線で評価することができるようになったことだろう。


 

山中貞雄監督


名作や古典として認知されている作品を鑑賞する際の一番の落とし穴は、観る側の気持ちにあらかじめ「傑作を観る」というバイアスがかかってしまうこと。面白いや好き嫌いよりも先に、「どれほどの傑作なのか勉強させていただきます!」という態度で臨んでしまったという経験は多くの人に覚えがあるのではないだろうか。


さらに山中貞雄作品の場合は、残っているフィルムが非常に古く、保存状態も良好ではなかった。フィルムの一部が紛失したり、戦火で焼失したりもした(もちろん山中作品に限らず、当時の多くの日本映画の消失の憂き目にあっている)。つまり、映画の本を開けばあちらこちらで山中貞雄の名前に出くわすのに、いざ彼の作品を観ようとしても、前述の3本を、傷だらけのぼんやりした映像で、そしてほとんど聴き取れないセリフを必死になって耳で拾いながら観るしかなかったのだ。そして脳内で補完して「完璧だったはずの姿」を類推するほかなかったのである。



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