©日活 ©KADOKAWA1943 ©1937 東宝
伝説の映画が復活!4K修復のマジックとは? 第33回東京国際映画祭「日本映画クラシックス」【CINEMORE ACADEMY Vol.10】
山中貞雄の親友・稲垣浩監督が手掛けた悲運の傑作
稲垣浩は、山中貞雄より4歳年長の映画監督で、前述の脚本家集団「鳴滝組」の8人のメンバーの一人でもあった。山中貞雄の『河内山宗俊』と『人情紙風船』は、歌舞伎役者が参加しながらも古典芸能の枠を踏み越えた劇団「前進座」とのコラボレーション作品だが、もともとは稲垣浩が前進座と組む予定だったところ、稲垣が多忙だったことから山中貞雄を推薦した経緯があった。田中氏は山中と稲垣のことを、「無声映画からトーキーに移り変わる時代に、一緒に新しい時代劇作りに挑んだ盟友同士」と説明する。
稲垣浩は『無法松の一生』という作品を二度映画化しており、今回上映されるのは阪東妻三郎が主演を努め、太平洋戦争の最中に撮影された最初の映画化である。荒くれ者で一本気な人力車の車夫が、軍人の未亡人とその息子を支え続けるメロドラマだが、戦時中に軍の検閲を受け、「貧しい車夫が軍の高官の未亡人に思慕を寄せるなどけしからん!」とクライマックスの重要なシーンなど約10分がカットされてしまったことはよく知られている。
そして戦後になると、今度はGHQによって「軍国主義的な表現はまかりならん!」と、さらに8分ほどが削除されてしまった。稲垣浩は改めて完全版を作ろうと決意し、1958年に三船敏郎主演でセルフリメイク。リメイク版は第19回ヴェネチア国際映画祭の金獅子賞に輝き、稲垣は長年の雪辱を晴らした。
ここでもうひとり名前を出すと、この記事が煩雑になることは承知の上で、この1943年版の『無法松の一生』を撮影したのが、日本映画史上最強の伝説的カメラマンの宮川一夫であったことは触れておきたい。
宮川一夫は、黒澤明の『羅生門』や溝口健二の『雨月物語』(53)、小津安二郎の『浮草』(59)など巨匠監督の凄まじい傑作群を手掛けており、強烈な美学や移動撮影など、映画表現の革新に大きく寄与した偉人。1930年代から40年代にかけては、稲垣作品を数多く手掛け、自他共に認める名コンビだった。
宮川は43年版の『無法松の一生』で、創意工夫を凝らしたオーバーラップを駆使して、下町の人情話に幻想ファンタジーの香りを加えることに成功している。その宮川一夫の助手だった宮島正弘氏が今回の修復に携わり、師匠である宮川の意図に限りなく近い状態に再現したのが今回の『無法松の一生』の4Kデジタル修復版なのである(修復の舞台裏を描いた短編ドキュメンタリー『ウィール・オブ・フェイト~映画『無法松の一生』をめぐる数奇な運命~』も同時上映)。
さらに言えば、宮川一夫は山中貞雄との仕事を切望していたのだが、山中の夭折によって叶わず、「プラトニックに終わった初恋だった」と語っているほど、山中のことを高く評価していた。歴史に「もし」が許されるなら、一本でいいから実現してほしかった顔合わせである。
日本映画の激動の時代を生き、共に新しい映画を作り出そうとした若き映画人たちの躍動と興奮が伝わる今年の日本映画クラシックス。この貴重な機会にぜひスクリーンで目撃して欲しい。
取材・文: 村山章
1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。
<東京国際映画祭>
日本映画クラシックス 部門
https://2020.tiff-jp.net/ja/lineup/list.html?departments=7
https://2020.tiff-jp.net/ja/lineup/sections.html
©日活 ©KADOKAWA1943 ©1937 東宝