済州四・三事件への想い
Q:本作では、お母さんが体験した「済州四・三事件」の生々しい虐殺の実態が語られ、衝撃的です。お母さんが事件の体験者であることを知ったのは、何がきっかけだったのでしょうか?
ヤン:2004年頃、『ディア・ピョンヤン』の編集をしている時に、私と編集スタッフは「4・3」に関する本を読んでいたんです。父は済州島出身でしたが、事件の前の1942年に日本に来ていました。母は日本出身でしたから、当時は母が事件の体験者とは知らずに、「オモニ(お母さん)は日本生まれだから4・3関係ないよね?」って聞いたら、「そうやな」みたいな感じでとぼけていたんです。でも「オモニは1回も済州島に行ったことはないの?」って聞くと、「行ったことない」とか「ちょっとだけ」って言ったり(笑)。済州島に関してはオモニの言う事がころころ変わっていたんです。
そんな中で2009年に父が亡くなり、母は一人暮らしとなりました。家族のケアが趣味みたいな人だったので、やることがなくなってしまったんです。だから私は母が鬱になるのが心配で、しょっちゅう大阪に行っていました。そんな時に母が「アボジ(お父さん)が亡くなったから言うけどな、済州島時代に私には別の婚約者がおってん」て告白したんです。「ええ!?」って驚きました。
『スープとイデオロギー』(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi
Q:お父様が亡くなった後に告白をされたんですね。夫への気遣いがあったのでしょうか。
ヤン:お母ちゃん面白かったですよ。私に「あんたもな、ええ人できたら昔の男の人の話したらあかんで」って(笑)、「男の人はそういうの嫌がるもんやで」とか言ってました。「なんのアドバイスやねん」って(笑)。
済州島での母の婚約者は医者だったって言うから、「そっか、医者の妻になりそびれたんか」とか言ってたんですよ。そうしたら「いや、それどころちゃうって」って言いだして。
※婚約者は済州四・三事件で韓国軍に殺害されたと考えられる。
それから母が「4・3」の話をし出して、「もういっぱい殺されてな。川は真っ赤に染まるし、遺体はいっぱい積み上がったり」とか。ちゃんと整理されていないんですが、脳裡に画が浮かぶんでしょうね。自分が昔目撃した画をそのまま私に伝えていたようです。
Q:フラッシュバックのような感じなのでしょうか。
ヤン:そうですね。一生懸命消そうとした記憶だと思います。辛いから忘れようと胸の奥にしまって、頑丈に蓋をしてきたので一気に全部は出てこない。ちょっと喋ると「ああ、忘れたわ」と。でも次の日に「ちょっと喋ったから、もっと思い出した」とか、「夢に出てきた」って言ったりして。だんだん話す量が増えていったんです。
それを証言集みたいにカメラで撮っていたんですが、やはり話が短くて途中で「もう忘れたわ」とか言うから、ほとんど使えない記録になっていたんです。これでは長編は無理だなと思い、母の「4・3」ついての証言は短編映画にしようと思っていたところに、変な日本人の男性が現れた(笑)。
Q:(笑)。ヤン監督の夫である荒井カオルさんですね。