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『関根光才監督特集上映』映画・映像は人と深い対話をするコミュニケーションツール【Director’s Interview Vol.245】

『関根光才監督特集上映』映画・映像は人と深い対話をするコミュニケーションツール【Director’s Interview Vol.245】

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岡本太郎と対峙する



Q:CM/MV/映画と色んなジャンルの映像を作られてきた中で、最も異質と思われるものがドキュメンタリー映画『太陽の塔』だと思います。太陽の塔/岡本太郎にまつわる方々のインタビューでほぼ構成されていますが、 そういった多くの方の意見が出ているにも関わらず、関根監督自身の思いや哲学がそこに色濃く投影されているように感じました。あの作品を撮ることによって、ご自身の中で変わったものなどはありますか?


関根:ドキュメンタリー映画は、その人や事象をそのまま記録してニュートラルに出すことが多い。ただ、それが岡本太郎や太陽の塔となった場合、果たしてこちらがニュートラルな立ち位置なままでいいのか?そんな思いがありました。そもそも岡本太郎という人は決してニュートラルではないので、自分がそこから逃げていいのかという気持ちが強くなってくるんです。ものすごく不遜ですが、岡本太郎や太陽の塔を超えようという気持ちで対峙しなければ、作れないだろうと思ったんです。


『太陽の塔』予告


Q:映画の中で「芸術家には決意が必要だ」というコメントが出てきますが、これは監督が自身に対して問うているのではないか、そう感じました。


関根:そう感じていただけたらありがたいですね。でもそれって、ドキュメンタリー作家としてはあまり評価されるべきことではないかもしれない。つまりそれはお前の言いたいことであって、映画に出ている人たちが言いたいことではない、と。そこのバランスはすごく難しいですが、企画にもよると思います。例えば社会問題をテーマにする場合は、どちらかの側に寄ってしまうと更なる戦いを生んでしまうことになりかねない。多分そういうとこから「VOICE PROJECT」などは生まれているんです。あれは投票について多くの方に話してもらっているだけで、僕たちスタッフはひたすら聞くだけなんです。そういう意味では『太陽の塔』のアプローチとは違います。岡本太郎という人を勉強するうちにどんどん衝撃と共感を覚えてしまい、話し手の方には自発的に話して頂きながらも、太郎さんと対峙するには表現としてはただ中立に甘んじるようなことはできないなと。もし僕が自分を安全圏に置いた表現をしたら、太郎さんは逆にすごく怒るのではないかと。


また、映画の中でコメントをいただいた方々に対して、自分なんかが質問できるのかという心配もありましたし、「岡本太郎」をテーマにした映像をはたして本当に作れるのかという恐れもありました。でも、岡本太郎と太陽の塔に対する興味のほうが勝ってしまったんです。


Q:関根監督の思いも感じつつ、映画全体を通して浮き上がってくるのは、やはり岡本太郎という人間とその考え方です。それが多面的に浮き彫りにされていく構造はとても面白かった。沖縄や曼陀羅まで話が及ぶとは思っていませんでした。


関根:太郎さんが研究していたことは人間や社会の根源みたいなものに全てがつながっていく。そうであれば、岡本太郎や太陽の塔に何かを感じている人たちの話を聞いていけば、そこもみんなつながっていくのではないか。そういった大きな意識のつながりのドキュメンタリーができると思ったんです。岡本太郎や太陽の塔という、ものすごい熱量について話すわけですから、熱量の塊みたいな映画ができればいいなと。


今の日本は元気がなくて自信を喪失している。もし今、太郎さんが生きていたら、何かすごいエネルギーをくれたかもしれない。そんなことが映画でできたらいいなと思ったんです。あの映画で話された全てを理解できなくてもいい、あの熱量だけ受け取ってもらえればいい。そういうバカな試みをしたわけですが(笑)、岡本太郎という人を少しでも感じてもらえて、自分も何かやってみようという気持ちになってもらえれば、それが一番かなと思いますね。




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