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『シャイニー・シュリンプス!世界に羽ばたけ』セドリック・ル・ギャロ&マキシム・ゴヴァール監督 LGBTQ+を描いた映画に当事者性は必要か【Director’s Interview Vol.251】

『シャイニー・シュリンプス!世界に羽ばたけ』セドリック・ル・ギャロ&マキシム・ゴヴァール監督 LGBTQ+を描いた映画に当事者性は必要か【Director’s Interview Vol.251】

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映画に当事者性は必要か?



Q:現在、映画製作においては作り手の当事者性が重要視されています。本作の場合もセドリックさんは同性愛者ですが、もはや劇中で描かれるセクシャリティは非常に多様で、おふたりとも当事者ではない題材も出てきていますよね。そうしたテーマにどう向き合ったのか、また映画における当事者の必要性について、おふたりの考えをお聞かせください。


セドリック:当事者の存在は必要だと思います。脚本から演出まで、映画づくりには長い時間がかかりますし、監督がテーマを偶然選ぶことはありません。明らかに、自分の琴線に触れたテーマを選ぶわけです。LGBTQ+映画はまだまだ数が少なく、少しずつ増えてきたとはいえ決して多くはありません。大切なのは、自分が描いているものが何かを理解すること。そして、当事者でないとわからないことがあります。フランスの場合、医療映画の脚本を実際の医師が書くことも多いので、そこでは本物のリアリズムを観ることができます。細やかな事実やディテールを見落としていないので、「本当は違うよね」などとは言えません。


LGBTQ+映画の場合も同じで、ヘテロ(異性愛者)の視点では見落としてしまうこと、間違った描き方をしてしまいかねないところも、たとえば実際のゲイがいればきちんと描けます。また、当事者でないと遠慮してしまったり、正直に言えないこともあったりすると思うのですが、『シャイニー・シュリンプス!』は僕の実体験に基づく映画。「シュリンプスってリアルじゃないよね」とは言わせません。当事者の存在はいつだって重要だと思いますし、この考え方はマキシムとも共有しています。ただし興味深いことに、この質問に対する彼の答えはまた違うと思うんです。



『シャイニー・シュリンプス!世界に羽ばたけ』©2022 LES IMPRODUCTIBLES - KALY PRODUCTIONS - FLAG - MIRAI PICTURES - LE GALLO FILMS


マキシム:セドリックの言ったことは正しいことなので、何か反論するつもりはありません。ただ、常に微妙な部分はあると思うんです。つまり、僕たちはLGBTQ+のヒーローを描く映画を作りたいとは思ったけれど、LGBTQ+コミュニティだけに届く映画にはしたくなかった。事実として僕は異性愛者だし、彼はゲイだから、どちらのコミュニティにも届く映画にしたいという話は最初からしていました。もし僕が一人で撮っても、セドリックが一人で撮っても、この映画はこういう形にはならなかったでしょう。だからこそ、僕たちが一緒に映画を作る意義があると思うんです。


ただし僕は、必ずしもクリエイターが当事者である必要はないと考えているので、そこはセドリックと意見が異なります。作り手のセクシャリティが、映画の描くセクシャリティと同じでなければいけないという考え方は厳しいものがあると思うんです。性差別や人種差別を招いてはいけないのは当然ですが、(非当事者が作る場合)クリエイターの側に偏見があったり、観るに堪えない作品が作られたりする可能性がある一方、まったく新しい見方がもたらされる可能性もある。だから僕は、当事者でないと物語を語る資格がないとは思いません。そうでないと、まだ生まれていない時代である第二次世界大戦の映画は撮れないし、誰も行ったことのない火星の映画は誰にも作れない。それが性的アイデンティティの問題になると、監督の人物像を単純化してしまうのはちょっと残念だなと思っています。


この質問が興味深いのは、これが性的アイデンティティだけでなく、女性監督や有色人種の監督の当事者性にも関わるものだからです。そこに「当事者である必要がある」「その必要はない」という2択の答えはないと思う。もちろん表現には多様性が必要だし、(題材が)正しく描かれることも必要です。けれどもこの仕事をする目的は、それぞれのイデオロギーを広く紹介することではないと思うので……。



向かって左からセドリック・ル・ギャロ監督、マキシム・ゴヴァール監督


セドリック:それはやっぱり理想論だと思う。実際に僕たちも自分のパーソナリティを映画に注ぎ込んでいるし、それが作品にも表れているから、もちろん理論としては正しい。けれど現実の問題として、一年間に世界で作られる映画の数は限られているわけです。そんな中でヘテロの監督にLGBTQ+の問題を扱われると、当事者としては「描くべき切実な問題を僕たちから取り上げてくれるな」と思うんです。


この議論は俳優の問題にもつながっていて、フランスにはカミングアウトしている俳優があまりいませんが、アメリカにはカミングアウトしている俳優がいますよね。しかし「自分はゲイだ」とカミングアウトすると、それまでヘテロの役を演じていた俳優でも、もうヘテロの役は回ってこないと聞きます。ヘテロの俳優にはゲイの役が回ってくるけれど、その逆はないと。彼らは「君はゲイなのはみんなが知っているから、もうヘテロの役には使えない」と実際に言われているらしいんですよね。本人たちはヘテロの役を演じたいと思っているんですが……。だから、せめてゲイの役柄は当事者のために残しておいてほしい。これは理想論ではなく映画市場における居場所の問題なんです。限られた時間と可能性の中で何を描けるのか、また何を演じられるのかという。




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