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『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 後編その1】

©1979 TOHO CO., LTD. / Tristone Entertainment, Inc.

『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 後編その1】

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現実対虚構



 『太陽を盗んだ男』が骨太なエンターテインメントへと昇華した理由のひとつに、ロケーションが生み出す圧倒的なリアリティがある。


 照明技師の熊谷秀夫は、脚本を読んだときの驚きを、こう記している。


「よくもこれだけロケーション現場の困難な場所を設定したものだと思った。坂下門、原子力発電所内、国会議事堂、警察庁、デパート、首都高速道路等これだけの場所を如何に撮影出来るかどうか、不可能な場所をどう撮影するかどうか、この作品の生死の問題であり制作部さんの苦労も大変であろうが、我々現場のスタッフに課せられた課題でもあった」(『映画照明』80年1月号)


 撮影できない場所があっても、映画は作ることができる。国鉄から撮影許諾が下りなかった『新幹線大爆破』(75)では、撮影所に新幹線の精巧なミニチュアを作り、駅のホームや管制室もセットで再現した。


 だが、セットや撮影しやすい場所にばかり逃げていると、映画の中のリアリティが先細りしていくことがある。虚構を現実と信じさせるための映画の魔力が薄れていく――とでも言おうか。


 その意味で、国会議事堂の場面は象徴的だろう。沢田が演じる城戸は、腹部に原爆のレプリカとなる球体を入れ、妊婦に扮して国会内のトイレにそれを置き去りにすることで、政府に自身の存在を誇示する。


 このシーンは、実際の議事堂の正門前で始まり、裏側に位置する衆議院面会待合所から出てくる姿が映し出されるところで終わる。当然、いずれも許可を得ていない撮影であり、盗み撮りだった。この撮影について沢田が証言している。


「裏口からなら入れるけど、やはり正面からのほうが映画らしいだろうってことで、女装して行ったんだけど、とにかくバレちゃいかんと。(略)守衛の人につかまんないで2、3歩中に入れるかと、これが賭け。前で止められるとアウトだから、とにかく時間かせげって監督に言われて」(『平凡パンチ』79年10月8日号)


 正門で守衛に誰何される沢田を望遠レンズで捉え、そこからズームバックすると、そびえ立つ議事堂がフレームに入ってくる。巨大な本物の議事堂と沢田の対比は、当初の題名『日本対俺』をそのまま映像に置き換えたかのような迫力がある。


 議事堂の正面からの盗み撮りは一発OKとなったが、このシークエンスの終わりに裏口(衆議院面会待合所)から沢田が出てきて、入れ替わりに警察庁長官役の北村和夫らが車から降りて駆け込んでいくカットは、4回にわたってリテイクされた。完成した映画で使用されているカットからは、守衛たちが明らかに不審な目を彼らに向けているのが分かる。実際、場合によっては拘束されかねないだけに、テイクを重ねるごとに、北村は「もうイヤだからね」とボヤいていたという。


 虚構の存在である俳優たちの周囲に、本物の空間と守衛たちが配置されることで、現実に虚構が侵食されていく。つまり、このシークエンスの頭と終わりを本物の議事堂で撮ることで、その間に挟まれた〈虚構〉の空間まで本物に見えてくる。


 赤い絨毯が敷かれた大理石の廊下を沢田がスタスタと歩くショットを、本当に議事堂内に潜入して撮ってきてしまったのではないかと錯覚したのは筆者だけではなかったはずだ。実際には、これは日銀本館でロケされたものだが、本物に近い雰囲気を持つ場所で撮ることで違和感なく空間を接続することに成功している。


 こうした現実と虚構の接続は、主人公が5月1日を指定して、政府から5億円奪取を画策するくだりでも発揮される。メーデーにあたるこの日は、実際に1979年5月1日に撮影が行われた。理由は都内各地で行われるメーデーの集会を画面に取り込むためである。


 ウインドブレーカーに帽子、デニムにサングラスと付け髭で渋谷の公園通りに現れた沢田は、自然に群衆へ紛れ込んでしまったので、スタッフも見失うことが度々あった。


 この日は、複数の場所で一気に撮る必要があるため、長谷川は総監督的な立ち位置となって渋谷の喫茶店に陣取り、都内各地のロケに指示を出していた。5台のキャメラを用いて、沢田の動きと共にヘリコプターからの空撮や、デモ、パトカーの走行など、この日しか撮れない光景を一挙に撮るわけである。前編で記した長谷川が村上龍とマラソン映画を企画した際に、青梅マラソンを3台のキャメラでドキュメンタリー風に撮ったのと同じ趣向である。


 この撮影へ臨時参加したスタッフに、後の映画監督・崔洋一がいた。当時は『俺達に墓はない』(79)、『さらば映画の友よ インディアンサマー』(79)などの助監督をしていたが、日当2万円に惹かれて参加してみると、同じく臨時雇いのキャメラマン・田村正毅と組むことになった。


 ところが、撮ってくるよう求められたカットのなかには、撮影用のパトカーで、本物のメーデーのデモへ突っ込んでいくカットまで含まれていた。それを小川紳介監督の傑作ドキュメンタリー「三里塚シリーズ」の撮影で知られる田村が撮れば、まさに虚実混在したものとなるに違いない。


 だが、いくら荒っぽい現場を経験してきた崔から見ても、これは無理な相談だった。劇用のパトカーを本物の労組のデモに突入させるなど、労組側は当然、警備する警察側の許諾も下りるわけがなかった。結局、パトカーの主観カットなど、インサート用のカットを撮るだけで終わった。


 とはいえ、メーデーの場面は、群衆と赤い旗が都市にはためくスペクタクル的な現実の光景の中に、フィクションを取り入れることでしか生まれない瞬間が切り取られており、本作ならではの現実に虚構が一線を越えて踏み込むことで生まれる空間を鮮やかに映し出す。




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