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『太陽を盗んだ男』を放った、ゴジと呼ばれた男【そのとき映画は誕生した Vol.4 後編その1】
技術スタッフの創意工夫
1978年秋、作家の小林信彦は、自作の『唐獅子株式会社』の映画化を申し入れてきたセントラル・フィルムのプロデューサーである黒沢満が長谷川和彦を連れて会いに来たときのことを、こう記している。
「長谷川和彦氏には、一度、お目にかかっただけだが、印象に残ることをきいた。
――カラー・フィルムの性能が向上したために、汚い町を写しても、画面では〈荒廃の美しさ〉といったものになり、汚いものが汚く写らないので困る……。
といった意味のコトバだった」(『地獄の観光船』『コラムは踊る』)
現実をそのまま撮れば、それが映画のリアリティになるわけではない。どんなフィルムを選ぶか、さらにフィルター、照明、現像の選択からも、映像の印象は大きく変わる。
『太陽を盗んだ男』の撮影は、『青春の殺人者』(76)に続いて鈴木達夫が担った。ロケハン中に鈴木から、今度の映画は全編に色をつけてみようと提案されるが、長谷川は拒絶する。寺山修司が監督した『ボクサー』(79)で、鈴木が撮影時にフィルターを付けて、特徴ある色を付けていたのを知っていただけに、二番煎じでしかないと感じたのだ。それに、前述の小林への発言からもわかるように、最近のフィルムは色が鮮明に出すぎていると感じていた長谷川にとっては、受け入れがたい提案だった。
しかし、鈴木は自分も長谷川と同じ意見だからこそ、色を付けると言っているのだと反論する。つまり、色の特色をシーンごとに付けることで、画面に入り込む不必要な色を抑えられるというのだ。これには長谷川も賛成し、照明の熊谷秀夫と共に色彩設計へ打ち込むことになった。
なお、『ボクサー』では、カメラにフィルターを付けることで色を加えたが、フィルターの露出倍数によって光量が多く必要となるため、今回は現像処理で色を出すことになった。
鈴木との打ち合わせの際、台本を見せられて驚いたと照明の熊谷は言う。「台本の1から213シーンまでの色調コンテが出来上がっていて、私に色調のコンテを通じて色彩に関しての相談があった」(『映画照明』No.15)からである。
具体的にどのような色彩設計が行われたかと言えば、まず、沢田が演じる城戸誠のキーカラーには、城戸の心情をイメージしたパープルが選ばれた。実際、映画を観れば、彼のアパートの室内、室外、サテライトスタジオは画面が紫になっていることが分かるはずだ。
そして、アパートの一室で原爆を製造する場面では、最初はパープル系の色で始まり、悪戦苦闘する過程で少しずつグリーン系の色に変化し、完成に近づくと、ハイキーで白飛びした映像になる。
その他、池上季実子はイエロー、菅原文太はノーマルで撮るといった基調の色設計が行われた。それを受けて熊谷は、皇居の坂下門でバスジャックが行われる場面では、警察のパトランプを光源に、警察車両から照らされる照明も赤にしたり、原発やデパートの中は青系にして生々しさを出すなど、鈴木の色彩案を踏まえて見事な照明設計で応えてみせた。
なかでも、本作で最も照明の効果が発揮されたのは、沢田が闇にまぎれて原発襲撃へ向かう車中のカットだろう。正面から運転席の沢田の顔がアップで撮られ、車が走行していくにつれて暗い運転席に様々な光が射し込んでくる。そのたびに、沢田の顔に射す光と影の形が変わり、リアリズムと劇画的な効果が交錯する忘れがたいカットになっている。
この場面は、開通間もない調布のバイパスで500メートルにわたって照明を仕込み、車が走ると順番にその光が沢田の顔に当たる仕掛けが施された。つまり、現実の街灯だけでは生み出せない光と影を、ライティングによって作り出したのだ。そうして現実の風景を変形させることが、原発襲撃という荒唐無稽な虚構への飛躍を可能にしたのである。